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白鳥随筆

あまり読むものもなく適当に図書館で借りた正宗白鳥の随筆を読んでみたら、これがなかなか面白い。

坪内祐三の編集で、彼の書いた解説から読んだが、なるほどと思うことが書いてある。

正宗白鳥と言えば明治の評論家で、自作の小説はあまりパッとせず、評論家としてなぜか重んぜられ、昭和に入って小林秀雄トルストイを巡って論争した、というのが文学史上で一番目立つ話題ではないか。

彼は若い頃、内村鑑三などの本に感激して基督教の洗礼を受けている。二十代は、病気をしたこともあって清貧の中でひたすらストイックな読書生活を送った。

そのために青年らしい悦楽は味わわないで通った。「今ではそれが残念でならぬ。病気と宗教とが、その幸福を奪ったのだと思うと、この二つが憎くないでもない。勤勉なる模範的青年とということは、当人にとってはあまりよいことではない」と後年(といっても三十歳のときだが)に書いている。

そのうち特に理由もなく信仰を失って、特に他にやることもないので文章稼業で暮しているしかない、何か自分を満足させ得る宗教があれば喜んで信じるのだが、それが見つからないと書いている。

「つまらん」というのが、正宗白鳥の口癖であった、と小林秀雄は書いている。「つまらん」というのは、何か面白いことはないかと求める心の裏返しであり、彼はこまめに世情をチェックし同時代の小説に目を通し、動きまわる人であった、という。

深沢七郎楢山節考を書いたとき、真っ先に激賞の評論を寄せたのが白鳥であった、という事実はそれを物語っている。

究極のニヒリストでありながら、八十三歳で亡くなるまで文学、芸術、世相に対する旺盛な好奇心を失わなかった。

彼の小説は、彼の時代には高く評価されたが、今でも読まれているものはほとんどない。

しかし、『人を殺したが…』というタイトルを見たときには思わず中原昌也か、と爆笑した。

車谷長吉などは「世捨て人」たることを公言していたが、五十歳近くなって結婚したり、直木賞を取って流行作家のようになったり、ピースボート(?)で世界一周旅行したり、けっこう生臭いところもあるのに対して、正宗白鳥のような人こそ、真の「世捨て人」と言えるのではないか、と思った。