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Mayte Garcia回想録(5)

マイテの回想録の「あとがき」には、ドラマチックにするために会話やシチュエーションを再構築した部分があると断りがあるので、彼女の回想は厳密な事実関係とはズレがあるかもしれない。

たとえば、マイテはプリンスが『エマンシペーション』のプロモーションで来日したのはアミールの出産前であるような書き方をしているが、出産は1996年10月16日で、プリンスが来日してプレス向けの会見を行ったのは同年11月1日なので、時系列が矛盾している。

だが出産の前後についての描写は、当事者にしか知り得ないことが書かれており、おおむね事実に沿ったものと考えてよいと思う。

アミールの悲劇以来、プリンスはマイテに催眠術をかけて会話することを止めた。マイテは催眠下で自分が何を答えるかに関心があったのだが、プリンスはそれを聞こうとはしなかった。

プリンスはアミールの記憶を振り払うかのようにますます仕事に没頭するようになった。彼は長男の死後まもない11月初め、『エマンシペーション』からの初シングルカット曲『Betcha by Golly Wow!』のMVで、病院で妊婦に扮したマイテを撮影したいと言った。彼女は我が耳を疑った。それは彼女には耐え難いことだった。そんなことが言い出せる夫が理解できなかった。マイテは、「オプラ・ウィンフリー・ショー」の一件もあって、それまで〈前世から結ばれたソウルメイト〉だと信じてきた夫・プリンスという人間に違和感を覚えるようになり始めた。

12月にプリンスは突然コンサートをキャンセルし、ホテルでワインをぶちまけて嘔吐して倒れているのを発見された。彼自身も苦しんで葛藤していることは明らかだった。マイテも情緒不安定に陥っており、しばしば自死の考えに取りつかれた。プリンスはマイテが多量服用するのを防ぐために彼女の前から慎重にVicodinを隠していた。

時が流れ、マイテはその後再び妊娠し、予定日は1998年5月10日だと告げられる。しかし97年11月19日に胞状奇胎と診断され、流産した。その際にもプリンスは「神の手に委ねるべきだ」といってマイテが入院することに反対したが、マイテは反対を押し切って入院した。マイテは医師から遺伝子検査を勧められ、それを受けた。遺伝子異常は見られなかった。医師はプリンスも検査することをマイテに勧めたが、マイテはプリンスには検査について知らせなかった。

マイテのプリンスへの違和感を決定的にしたのは、プリンスが元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのベーシスト・ラリー・グラハムと親しく交流するようになり、彼の影響で「エホバの証人」の教えに傾倒するようになったことだった。ラリー・グラハムは、妻や家族を大切にする善人ではあったが、聖書の話になると止まらなくなり、しばしばマイテをウンザリさせた。

プリンスは毎週エホバの勉強会に参加するようになり、帰ってくるとマイテにその教義を熱心に説明するのだった。マイテは宗教話を受け入れられず、だんだん二人の会話はすれ違うようになった。そのうちにマイテは、集会に出入りしているマニュエラという若い女性とプリンスとの仲を疑うようになった。マニュエラは熱心な信徒で、エホバの勉強会にも欠かさず出席していた。ゴージャスなタイプのマイテとは違って、いつもジーンズ姿で髪もナチュラルな、素朴な印象の女性であった。やがて彼女はプリンスのツアーで物販を担当するようになり、その存在感が増すにつれて、マイテの心はかき乱されるのであった。

つづく