INSTANT KARMA

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『麦秋』

(監督:小津安二郎、脚本:野田高梧小津安二郎、出演:原節子笠智衆淡島千景他/松竹/1951年)

原節子の「紀子三部作」の二作目であり、一作目の『晩春』との対比で見ないと作品の真価は分らないので、以下『晩春』についてのコメントも頻出する。

『晩春』で原節子(紀子)の父親だった笠智衆が、ここでは兄(長男)で、例によって紀子を嫁がせることに気を揉んでいる。父娘の二人暮らしだった『晩春』とは大きく異なり、紀子は両親と長男夫婦とその子供二人と一緒に七人の大所帯で暮している。長男の嫁は『晩春』で父の再婚相手候補を演じた三宅邦子が演じている。紀子の母親は『東京物語』で祖母を演じた東山千栄子であり、ここでも存在感を見せているが、父親を演じる菅井一郎は『晩春』の父親(笠智衆)とは比較にならないほど影が薄い。

初めて見た印象は、「原節子のアイドル映画」というものだった。ここには『晩春』で見せた嫉妬に燃える憎しみの表情もなければ、近親相姦を思わせる妖しげな表情の演技もない。終盤を除けば、ただ明るく朗らかで茶目っ気たっぷりの〈可愛い〉魅力を振りまいている(〈可愛い〉にカッコがつくのは、原節子の場合、やはりそこにはアイドル的な可愛さだけでは収まらない別種の魅力(気品とか貴族的とかバタ臭さとか要するに日本人(東洋人)離れした何か)が併存しているからである)。

小津安二郎はこの映画を、原節子の魅力を味わいながら、彼女を愛でながら撮影したと確信した。それが一見して「アイドル映画」と感じた意味だ。この映画の公開時に、小津と原節子の結婚説が芸能ニュースを賑わせたというが、確かにそんな説が出ても不思議ではないほどのインティメートさがこのフィルムには漂っている。

紀子の友人役で登場する淡島千景は、呆れるくらいに『晩春』の月丘夢路と同じ役どころである。容貌も何となく似ている。もっとも『晩春』では友人は結婚したが離婚して実家に出戻っているという設定だったが、この映画では既婚者の友人たちが別にいて、独身者どうして絆を深め合うという設定になっている。いわば『晩春』の役割を数名に分散させた形である。このことは『晩春』がいかにミニマルな設定で作られたかを示している。

『晩春』では父親に説得されて見合相手のもとに嫁ぐ紀子だったが、『麦秋』では見合の話を蹴って自分の意思で、戦争で死んだ兄の友人でありバツイチで子供もいる男と結婚する(正確には嫁ぐ前で話は終わる)。家族は紀子のためを思って(世間体への配慮はほとんど描かれない)反対するが、結局は紀子の意思を尊重する。別の候補を推していた笠智衆(兄)も強引に自らの意思を押し付けることはない。ホームドラマとしては、『晩春』よりもこちらの方が後味は良い。

こういう後味の良い終わり方になったのは、小津が『晩春』で見せた内心の悲劇を克服したからだと思う。だから紀子に、「四十にもなって独身でブラブラしている男は信用できない」という突き放した台詞を言わせることができたのだ。

まったく個人的な印象だが、『麦秋』と『晩春』の間には、作者の内面性と作品の芸術性のどちらに重心があるかという点で、ドストエフスキーの『白痴』と『罪と罰』のような関係性を感じる。