INSTANT KARMA

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海軍日記

「いよいよ状況が煮詰まって来た」などと呑気なことを言いながらこの十年ばかりやってきたが、いよいよ本当に(主に個人的な生活の面で)煮詰まってきた感がある。

これまでは「そのうち世の中がひっくり返るような、全部がご破算になるようなことが起こって、なんとかなっていくだろう」というような甘ったれた気持がどこかにあった気がするが、そういう「一発逆転」みたいなことは望めそうになく、むしろ真綿で首を絞められるような苦しみがこれからも続いて行くだけのようだ、という真実が明らかになってゆく一方である。

こっちはもう人生も後半でリタイアモードになりつつあるので始末の付け方のほうに知恵を絞って行くだけだが、これから本格的な人生が始まる若い人たちにとってはきつい世の中だろうと思う。

デジタル社会やメタバースに人類の希望があると言われても、そんなのは悪い冗談かデストピア的響きしか感じない。AIが支配する社会に明るい展望を持てというのは無理な注文であろう。

 

野口富士男『海軍日記』を読むと、日本の軍隊に召集されるとはどういうことなのかが分かる。それは人間が「牛馬あつかい」されることである。

野口は戦場に赴くことはなく、召集後に病気になり栄養失調に苦しみ入院していたのだが、それでも夜廊下に並ばされ、〈バッタア〉と呼ばれる臀部へのバットでの殴打を繰り返し受けていた。

アメリカの上陸が迫る硫黄島に行かされる兵隊もいた。刑務所から直接召集され配属された兵士が「ここは刑務所より酷い」と涙を流していた。貴重品の盗難や食料の奪い合いは日常茶飯事。上官がぬくぬくとした部屋で贅沢な料理を食らっている横で、下着のみで極寒に晒され、急性肺炎で次々と息絶える仲間たちに手を差し伸べようともしない、自らの命を守ることに精一杯の下級兵士たち。

このような生き地獄の様子を淡々と描写する野口の筆致はあくまでも冷静で、過度の憤りや自己憐憫の感情に流されることなく、私小説作家の面目躍如たるものといっていい。

召集され海兵団に引率されてゆく息子に「富士夫ッ、死ぬんじゃないよ」と声を張り上げた母は銃後で疲れ果てて亡くなる。そのことは小説「かくてありけり」の中でも語られる。

大正天皇崩御のときにも、そんなことあんたとなんの関係もないじゃないのと言ってのけた母は、戦って国家に生命をささげることが至上の名誉とされていた時代になっても、微動だにしていなかった。いつわりの虚栄心にすぎぬ忠君愛国などという精神と、母はまったく無縁なところにいた女であった。そういう女を母として、私は生まれたのであった。入団してから殴られても、半殺しにされてもかまわぬ覚悟で、私は大きくうなずいて母に手を振った。

木下恵介監督の『陸軍』(1944年)という映画の名高いラストシーンを思い出す。

こっちは海軍だが。