War Is Over

 if you want it

一私小説書き逝く

都電の線路を足ばやに横ぎり、ガード下をぬけたところでもう一度振りむいてみたが、それと気になる人物や車輛はやはりなかった。根が小心者にできてるだけ、最後に吐き残した暴言のことで連絡を受けたその店の者が追っかけてきはしまいかとヘンに気にかかったものだが、どうやら杞憂のようであった。それでやっと日常に立ち戻った思いになり、すでに閑散とした駅前からのだらだら坂を地下鉄の入口にむかってのぼりながら、私はしみじみ女が欲しい、と思った。

西村賢太「けがれなき酒のへど」冒頭部分)

苦役列車」「小銭をかぞえる」などの破滅型の私小説で知られる芥川賞作家の西村賢太(にしむら・けんた)さんが5日朝、東京都内の病院で死去した。 4日夜に東京・赤羽から乗車したタクシーの中で具合が悪くなり、そのまま病院に運ばれたが、心臓が停まっている状況だった。医師が蘇生を試みたが、再び心臓が動くことはなかった。死因は警察で調査している。54歳。東京都出身。 西村氏は中学卒業後、アルバイトで生計を立てながら小説を執筆。同人誌に発表した作品が2004年に文芸誌「文学界」に転載され、07年に「暗渠(あんきょ)の宿」で野間文芸新人賞、11年に「苦役列車」で芥川賞を受けた。受賞決定後の記者会見での型破りな発言が注目され、同作はベストセラーに。映画化もされた。 他の小説に「どうで死ぬ身の一踊り」など。エッセー「一私小説書きの日乗」シリーズも人気を集めた。 大正時代に活動した作家藤沢清造に心酔し、小説集の出版に尽力。石川県七尾市にある藤沢の墓の隣に自身の生前墓も建て、命日には親族らと法要を営んだ。 日刊スポーツ[2022年2月5日18時33分]

二月四日の夜は、偶然にも北町貫多が〈秋恵〉と一緒に住んでいた滝野川の図書館を初めて訪れて、さすが西村賢太の地元は賢太の作品の文庫本が他館より充実しているなあ、などと書棚を眺めながら思ったりしていた。

二月一日には、その日に死去した石原慎太郎西村賢太の対談をたまたま読んでいた。 そういうことを偶然と呼ぶかシンクロニシティと呼ぶか虫の知らせと呼ぶかはどうでもよい。

西村賢太は、スタイリッシュな作家だった。彼の小説は徹頭徹尾強固な美意識に貫かれたものだった。その一見ガサツな風貌や下世話さ溢れた発言などは、根がデオドラント志向で繊細きわまる性質をカムフラージュするための偽装だった。

遺稿となった二月一日に書かれた石原慎太郎の追悼文で、西村は石原の文学の〈身体性〉こそ真実(ほんもの)の証であると書き、「私が好んだ存命作家は 唯の一人もいなくなってしまった」、「虚脱状態に陥っている」と告白した。 一月二十九日には没後弟子を自称する藤沢清造の没後九十年の命日の墓参りを済ませたばかりであった。

どう見ても早すぎる死にしか思えないが、いろいろなタイミングが示唆的であったということなのか。

読むに値する数少ない存命作家の一人を失った。魂のこもった小説を書く作家がまた一人いなくなった。 西村賢太の小説(新作)がもう読めないというのは、ぼく自身にとっても大きな喪失感を伴う出来事だが、まちがいなく日本文学にとっても大きな損失である。

西村賢太は作家以前にマニアックな読書家であり、私小説の愛読者であった。それだけではあきたらず田中英光の研究者として遺族にも取材しながら私研究本のシリーズを自費出版してもいる。そのうち西村賢太の没後弟子を自称する人が現れて「西村賢太私研究」を書いてくれないものか期待している(本人は絶対に嫌だと著書の中で断言しているが、西村だって本人の承諾なしに勝手に没後弟子を自称したり過去の人生を根掘り葉掘り調べて発表しているのだからきっと許されるだろう)。

 

追記 今朝訪れた図書館で坪内祐三の『文藝奇譚』を手に取ったら、岡田睦についての文章があったのでコピーし、ついでに本をめくっていると、野間文芸賞のパーティーで坪内が新人賞を受賞した西村賢太に冷酒を一杯プレゼントしたというエッセイが収録されていた。「本の雑誌」坪内追悼号に載っている坪内と西村の対談を読んで岡田睦を知ったのもつい最近のことだった。もうこの二人はこの世にいないのだな、と改めて思った。

参考

西村賢太私小説を時系列に並べたメモ。

西村賢太備忘録(1) - War Is Over (hatenablog.com)

西村賢太備忘録(2) - War Is Over (hatenablog.com)

西村賢太備忘録(3) - War Is Over (hatenablog.com)