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K

三木卓私小説「K」(講談社文芸文庫を読む。

三木卓といえば、いつのだか忘れたが、国語の教科書に文章が載っていたというかすかな記憶があり、詩人か児童文学者というイメージがあった。

この本の巻末についている年譜をみると、父親がアナーキズム系の詩人で、満鉄の社内報の編集をしていた関係で物心つく前に満州に移住している。四歳で小児麻痺にかかり、大人になっても左足に障害が残った。戦後満州から引き上げるに際し父親が発疹チフスで死亡。静岡で小学校から高校卒業まで過ごす。十四歳で評論や創作を始め、引き揚げ体験を描いた小説も発表している。一浪して早稲田文学部に入り、砂川闘争に参加するなどし、ロシア・ソビエト文学を専攻して大学院に進むも、ソビエト文学に飽足りなさを感じ、引っ込み思案でなかなか就職もできず、書評新聞の記者の仕事に就いたころに二十四歳の同い年の彼女(K)と出会う。

そこから五十年近く、七十二歳で妻が亡くなるまでを描いている。平易でわかりやすい文章なので読みやすいが、内容はなかなか特殊で、特に後半の妻が癌になって入院を繰り返す闘病を描いた部分は重たいものがある。

娘が生まれ、三木(妻からはマルミと呼ばれていた。自分のことはマルケイと呼んでいたという)が作家として立つことを決意したあと、妻からの提案で仕事場に移って執筆するようになり、やがて家には戻ってこないようにと言われる。不貞やら酷い性格の不一致が原因というわけではなく、一日中執筆に苦しむ夫がいることに耐えられなくなったのが理由らしい。さらにいえば、自分と娘の生活から夫を排除したかったということのようだ。

Kの側から見ればいろいろと言い分はあるのだろうが、この小説を読む限り、Kは相当に難しい性格の持ち主であったようだ。彼女自身も詩を書いて、三木の協力のもと何冊か出版している。

Kの拒否をうまく利用して、自身の自由を満喫してきた、という三木の打算のわだかまり、負い目、呵責が本書を書かせた理由ではないか、と解説(永田和宏)には書かれているが、満更的外れな推測でもない気がする。

とはいえ、K以外の女性と関係したということもなさそうで、三木自身も心筋梗塞や心臓の持病を抱えながら妻の闘病生活に付き合った。特殊な形とはいえ、夫婦としての人生をまっとうしたと見える。

三木卓の他の小説(「ミッドワイフの家」「巣の中で」「炎に追われて」)も読んでみたくなった。