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正宗白鳥と内村鑑三

正宗白鳥内村鑑三』は、十代から二十代にかけて熱心に読み、その講義に通った「我はいかに基督教徒になりしか」の著者について書いた長めの随筆である。

評伝でも論文でもない、雑感を記した本で、『内村鑑三雑感』という続きもある。

いかにも白鳥らしく、かつての心の師である内村鑑三を突き放し、その思想や人間性を批判的に検証している。

面白いのは、内村鑑三が晩年に熱心に唱えた「キリスト再臨説」について取り上げ、積極的に評価している点である。積極的に評価しているとはいっても、その内容に賛同しているわけではなく、内村が自らの信仰の論理的帰結としてキリスト再臨と肉体の復活という教えを信じるに至ったことに興味を覚えるというのである。

内村のような人が、キリスト再臨や肉体復活にしがみついて、その信仰から離れまいと努力している狂熱的信者の心境に、ある種の同感と共鳴を覚える、と白鳥はいう。

人間にはそういう要求があるのであり、そういう要求や空想は、いくら科学知識が発達しても、消滅しないであろう。百万年後にでも、ある種の人間はまだキリスト再臨を期待したり、肉体の復活を希望したりするのではあるまいか、と。

キリストでもパウロでも、或いは内村でも、生存中の夢は死後に実現されないで、空空漠々、塵となり、灰となり、無に帰しているのではあるまいかと、我々の現代的通俗知識で考えていると、人類の生存、自己の生存について、「やるせない思い」みたいなものが感ぜられる。そのやるせない思いの果てが、我々をして、何となく宗教的の考えを起させ、神とか何かそういうものを求むる心を起させるのである。