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偶然と想像

濱口竜介監督の最新作で、ベルリン映画祭で受賞したという『偶然と想像』を観に行く。

『ドライブ・マイ・カー』で大ホームランをかっ飛ばした濱口監督の、乗りに乗った充実ぶりが伝わってくる、短編作品三話からなるオムニバス映画。

所用で到着するのが遅れて、第一話の途中から入ったのだが(会場のスタッフの方に感謝)、そこで画面に映っていた映像(タクシーでの二人の女子トーク)にたちまち引き込まれた。

会場は笑いに包まれていて、見た後にも何か言いたくなる作品で、レビュー動画を上げている人も多い。全部は観きれないが、『ドライブ・マイ・カー』も然りで、本編を見た後にレビュー動画(海外のも含めて)を見るのも楽しみの一つである。

人と人とのつながりやコミュニケーションの在り方が濱口映画に一貫するテーマで、もちろんそれはどんな映画にもそういう部分はあるのだが、彼の場合その拘り方がかなり特殊というか、日常を撮っているようでまったく日常ではあり得ない、その下に隠されているものが露わになって行くドキュメントであり、監督はそれを「エモーションを空気のように撮る」といった言葉で表現している。

とにかくテキストの量と脚本の練度が尋常ではない。そこに研ぎ澄まされた撮影手法による映像のこだわりがあるから、見たらどうしても(拒否反応も含めて)圧倒されざるを得ない。

「ハッピーアワー」のような大長編でやっていたことを40分くらいの短編でもできると証明してみせたこの作品は濱口監督の成熟ぶりを感じさせた。

 

以下ネタバレあり。

 

 

あらすじや解釈についてはネットにさまざまな考察がたくさんあって、それにつけ加えることは何もないくらいに充実している。

あらすじはともかく解釈については完全に見た人に委ねられるタイプの作品なので、正解というものはない。選択肢の中から「このときの登場人物の気持ち」を一つに選べる入試問題のようなものではない。だから面白い。

観客自身の性格や環境によって身につまされる部分は違うだろう。自分は第一話の芽⾐⼦のめんどくささが娘とダブって仕方がなかったし、第二話の芥川賞作家の教授・瀬川(渋川清彦)の台詞を言う時の表情やトーンが又吉直樹とダブって仕方がなかったし、第三話の夏子(占部房⼦)が知り合いの何人かの女性を組み合わせたようなタイプに見えて仕方がなかったし、第二話の若い男・佐々⽊(甲斐翔真)のウザさといったらなかったし、バスの中で彼と再会する奈緒(森郁⽉)の喋り方が朗読するときよりもエロかったし、第一話のイケメン社長が国木田独歩の曾孫だと何かのレビューを読んで知ったときにはおやおやと思った(映画とは関係ないが)。

この映画に終始ポジティブな印象があるのは、それぞれが何らかの形で登場人物の〈成長物語〉になっているからだろう。そういう意味では古典的な図式でもある。

第一話は芽⾐⼦が象徴的に「撮られる側」から「撮る側」へ変化(成長)するメタモルフォーゼの瞬間を捉えたともいえる。それはほんの些細な、ほとんど見えない、細かすぎて伝わりづらい変化でもある。

あったかもしれない未来と現実の未来を対比させるホンサンスのようなトリックが見事な効果を上げている。

第二話は自己尊厳に欠けるセックス依存症奈緒が自分の弱さを瀬川教授に肯定されて解放される過程をややトリッキーに描く。奈緒は最後のシーンになるまで自分が解放されたことに気づかない。

第三話は夏子とあやの解放を、トリッキーなやり方ではあるが、感情の流れとしては分りやすくドラマチックに描く。たやすくLINEの交換ができない世界が二人の出会いの一期一会の感覚を増している。

さっき古典的な図式と書いたが、表面的にはラジカルに見えても濱口監督の世界観は意外なほど保守的で「真っ当」だ。それが彼の作品の広い支持につながっているともいえる。『ドライブ・マイ・カー』でいえば北海道の浪花節的なシーンに象徴されるところ。

「偶然と想像」でも根本的に安心して観られるという健全さがある。それが物足りないという人もいるのかもしれないが、善人が悪人のふりをしても仕方がないだろう。