War Is Over

 if you want it

Ribbon感想(若干ネタバレあり)

一度は芸能界から抹殺され干されかけた女優が(今でも地上波ドラマには出ることができない状態が続いている)、自ら監督・脚本による主演映画を撮影し、全国で劇場公開するに至ったということはそれ自体が大変な偉業であると思う。

岩井俊二樋口真嗣をはじめとする錚々たる映画人たちのバックアップを受け、劇場作品として他の商業映画にまったく引けを取らない出来に仕上がっている。初監督作品としてちょっとありえないほどのクオリティだと思う。タレントが映画作ってみました的な趣味的作品には決して終わっていない。創作への真摯な思いに貫かれた作品であることは監督の数々の発言から明らかだ。

主人公の「いつか」がのん自身の投影であることは容易に見て取れる。「いつか」のセリフや行動、特に家族とのやり取りなどはふだんブログやら動画で発信している本人(能年玲奈)の姿と地続きに見える。そういう意味でこの映画を「私小説的」と呼ぶこともできる。私小説好きの僕としてはこの作品をそのように解釈したい。

そのように見ると、この映画には主人公にとっての明確な「他者」が登場しないということが若干物足りなく感じた。ここでいう「他者」とは、主人公の考えや行為を相対化するような存在、要するに主人公の世界と地続きではない世界に生きている人々のことだ。

敢えて言えば、主人公の生活に抑圧的な状況をもたらしている「コロナ禍」そのものが主人公に敵対する存在であり、それは抽象化された「他者」としての「社会」であるといえるだろう(唯一この映画の中で具体的な「他者」が登場するのは、主人公の「内定取り消し」を電話で告知する「会社」の人間だろうが、その描写には中身はほとんどない)。

親友の平井(「あまちゃん」で共演した山下リオが演じる。ちなみに彼女は濱口竜介監督の「寝ても覚めても」にも出演していた)も主人公の意識を共有し補完する人物として描かれている(途中で対立めいた場面はあるが、その原因もヒステリーみたいなものだから、一瞬の爆発で終わり、一夜にして対立はあっさり解消する)。

この映画のクライマックスといえる二人の行為にいまひとつカタルシスが欠けている気がしたのはそのことと無縁ではないように思う。

公園で出くわす元同級生(田中)と主人公の関わりには「男性」という他者に対する監督自身のアプローチが投影されている。当然起こり得るはずの男女としての関係に発展していく気配は微塵もなく、小学生どうしのようなナイーブなやり取りに終始。そして彼もまた無条件に(特段の説得的な理由もなく)主人公を肯定してくれる(都合の良い)存在でしかなくなっている。

コロナ禍という抑圧的状況を乗り越え、他者との共感や他者からの評価によって自己肯定感(「ゴミじゃない」)を取り戻すという主人公の物語が説得力を持ちうるためには、その前提として「他者」が描けていないといけない。それがあればこの作品にもっと奥行きが生まれただろうと思った。

辛めの感想になってしまったが、映画を製作し、自分の名において公開するというのは、世間からの容赦のない目に晒されるということでもある。

しかし、のん監督はどんな批判を受けてもまったく落胆する必要はない。大資本を投下して制作された商業映画でも、有名な監督が作った作品でも、この映画に及ばないものはいくらでもある。それに、この映画に込められた純粋な思いは、昨今の商業映画にはなかなか見られない貴重なものだと思う。

そして何より、スクリーンに映る彼女の表情と姿には唯一無二の存在感があった。

贅沢を言えば、次回作では別の方向での彼女の演技を堪能してみたい気もした。

どういう意味かというと、僕が彼女に一番魅力を感じるのは、彼女が自分とは異質なものの中にいるときの振舞いなのだ。この映画は、彼女が自分の世界の中でのびのびと振舞っていて、それはそれで魅力的なのだが、「他者」とのまじりあいの中で独自のキラリとした輝きを見せる、そんな姿をスクリーンの中で見てみたい気がする。

何はともあれ、のん(能年玲奈)が映画に愛されし女優として輝かしく歩み続けるのをこれからも楽しみにしたい。