War Is Over

 if you want it

Lord’s Prayer

僕が中高生の頃、夕食はほとんど毎日家族三人で同じ食卓に就いていた。母親は専業主婦で、父親も毎日定時に帰ってくる人だったので、夜七時には夕食ができていた。僕も学校は帰宅部だったので学校のある日も毎日六時頃までには家にいた。

父親は一人で晩酌し、ビール瓶をケース買いしており、日本酒の一升瓶も絶えず揃っていた。晩年になるにつれて食が細くなりご飯は食べず酒ばかり飲むようになったがまだ若い頃はそれなりに食べていた。糖尿病の持病があり、薬を飲みながらの生活だった。

そんな父が、酒が程よく回り始めると、たいていテレビのニュースか何かをきっかけにして、独壇場が始まるのだった。しばしば宗教談議を始めることがあって、頑強な無神論者だった父は、神を否定し、もし神がいるとしても、われわれの悲惨さなどには高みの見物を決め込み、人間たちが苦しむのを笑いながら見ているだけだ、というのだった。

そういうときに、架空の〈神〉になり切った父は、下界で苦しんでいる人々を眺めながら、「そうかそうか。せいぜい苦しんでくれよ。わしゃ知らんこっちゃ」などと、憎々し気な嘲笑を浮かべ、顔を真っ赤にしながら語るのだった。

そういう父の姿をほとんど毎日のように見せられていた自分がそのときどう思っていたのかは覚えていない。無意識のうちに反感を覚えていただろうか。それともそんなものかな、と納得していただろうか。母はそんな父に対して「神様はそんなんとちゃうわ」と反論にならない弱気な反論を繰り返すだけだったように思う。母は父のそういうところが好きになれない、と言っていたように思う。

中高一貫性のミッション系の学校に通っていた自分の教室では、毎朝皆で「主の祈り」を唱えることで一日が始まった。特段の信仰心もなかったが、朝クラスの皆で祈りを唱える時間は割と好きだった。

天にましますわれらの父よ

願わくは み名の尊ばれんことを

み国のきたらんことを

み旨の天に行わるるごとく

地にも行われんことを

われらの日用の糧を

こんにちわれらに与えたまえ

われらが人をゆるすごとく

われらの罪をゆるしたまえ

われらを試みに引きたまわざれ

われらを悪より救い給え

アーメン

学校で全員に配られた新約聖書は、高校まではほとんど開くこともなかったが、大学に入ってから手垢で真っ黒になるまで繰り返し読んだ。

宗教嫌いだった父がなぜ自分をあの学校に入れたのかよく分からない。決め手になったのは学校説明会のときの校長の話に感銘を受けたかららしい。神父である校長は、見るからに人格者といった容貌で、すべての教師と生徒から尊敬されていた。

中学一年生のときに彼の「倫理」の授業を受けた。たぶん学校が独自に作成したテキストを使って、「なぜ創造主は存在するのか」という話を延々と聞かされた。その例えとしてよく使われたのが、「時計をバラバラの部品に分解して、箱の中に入れたとする。その箱をいくら振りまわし続けても、元の時計には決してならない。同じように、宇宙に存在するあらゆる元素も、その自然な運動に任せているだけでは決して生命は誕生しない。そこには創造主の知性が働いていると考えなければ説明がつかない」といったような話だ。僕はその話をそのままテストに書いて満点をもらった。内心誇りにしていたら、満点を貰った人は他にも大勢いたことが後で分かった。

 

今のウクライナ情勢を見ていると、父の言った通り、神は天空から「おおみんなあくせく闘ったり逃げ廻ったりしておるなあ。まあせいぜい苦しみ泣き叫ぶがいいよ」と酒でも飲みながら笑っているのかもしれないと思う。

フィリップ・K・ディックという作家が、「ラスト・テスタメント」というインタビュー本の中で、キリスト(神)が存在する証拠として、レニングラードの防衛に当たっている兵隊たちが微笑んでいる写真を上げていたのを思い出した。祖国防衛のため、圧倒的な戦力を持つナチスの軍隊を前にして、ロシア戦士たちの顔には微笑が浮んでいた。それは彼らの側にキリストが臨在していたからだ、と言うのだ。

今、ウクライナの兵士たちは、圧倒的な戦力を持つロシアの軍隊を前にして、微笑みながら戦っているだろうか。