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雨滴は

西村賢太追悼〉と銘打った『文學界』四月号を買う。

〈追悼〉とはいっても、〈特集〉ではなく、連載中の「雨滴は続く」(最終回)の手書き原稿の写真一枚と、連載分以外に、田中慎弥朝吹真理子の追悼文が載っているだけの、何とも慊りない内容であった。

賢太ほどの作家が、こんなもので済まされてしまうのか、というのが正直な感想である。

但し、田中慎弥朝吹真理子の追悼文は、なかなかよかった。とはいえ、両者とも賢太と深い付き合いがあったわけではなく、特に朝吹真理子は、同じ年に芥川賞を同時受賞したという縁で一度酒席を共にしただけの浅い関係である。田中慎弥にしても、互いの性格からも察せられるとおり、賢太と腹を割って話す機会は持てず、そのことを率直に追悼文の中に著している。この程度の、友人とも言えぬ文学者の追悼しか載らないというところに、朝吹の言う賢太の「現世の人に対して一様に抱いている不信用みたいなもの」が現われているのだろう。

追悼小説の傑作で思い浮かぶのは、正宗白鳥が死んだときに深沢七郎が書いた「白鳥の死」だが、こういうものを書ける作家は、能力的にも、付き合いの上からも、存在しないのだろう。他の雑誌に載っている他の作家の追悼文はまだ読んでいないので何とも言えないが。

「雨滴は続く」の最終回について言えば、その作中にやけに〈死〉を臭わせる表現が目に付いたのが気になると言えば気になった。

もう自分はとてもではないがこの世にいることはできない。

どうしようもなく申し訳ないから死んで詫びるより他はない。

結句存在自体消え去るより他はない。

向後も死ぬまで消えぬに違いない。

平成十四年の時点ですでにして建立済みの、能登七尾の藤澤清造墓の隣りの小さな石碑の中に、壺に入れられ収納されていたかもしれなかった。

適当に拾い出しただけでこんなにある。