戦禍によってひき離され 戦禍によって死ななかったもののうち
わたしがきみたちに知らせる傷口がなにを意味するか
平和のしたでも血がながされ
死者はいまも声なき声をあげて消える
かつてたれからも保護されずに生きてきたきみたちとわたしが
ちがった暁 ちがった空に 約束してはならぬ
(吉本隆明「死の国の世代へ」より)
後藤明生の遺作?「この人を見よ」を図書館で借りて読んでみたが、小島信夫「別れる理由」のパロディみたいな感じで正直あまり入ってこなかった。
前半のカルチャースクール(小説教室)と単身赴任の部分はまあまあ面白かったが、途中から延々と文学談義が続いて、それもまあ面白くなくはないのだが・・・
今はどうも読む気になれない。
まだ一緒に借りた吉本隆明「憂国の文学者たちに―60年安保・全共闘論集」(講談社文芸文庫)の方が面白かった。
有名な「わが国では思想の根底が問われるときは、体制的か反体制的かが問題なのではない。思想がその原則を現実の場面で貫徹できるだけの肉体をもっているかどうかが問題なのだ」というフレーズが「収拾の論理」という東大全共闘についての文章に出てくるのだというのを知った。
西村賢太の最後の連載が載っている「文學界」四月号で綿矢りさの連載小説を読んだがわりと面白かった。ラブホのトイレで咳込んでるのを聞かれると気まずいと思いながら焦る主人公の描写が相変わらず上手いな、と思った。九州芸術祭文学賞最優秀作の白石昇「足の間」もよかった。
ウクライナのゼレンスキー大統領が英国下院議会にオンライン演説してチャーチルを引用したのが話題になっていた。今もし英国にチャーチルがいたら、飛行禁止区域の設定を強力に主張しただろうか。あるいはウクライナの義勇兵に参加したかもしれない。少なくともキエフがロシア軍の手に落ちるのを黙って見ていることだけはしないのは確かだろう。第一次大戦で戦車を発明したのはチャーチルだった。第二次大戦回顧録に「死に甲斐のある時だった」と書いたのもチャーチルである。
「人には潮時というものがある。潮時を逃すと恥が多い」といって死地に赴いたのは『河内山宗俊』で金子市之丞を演じた中村翫右衛門だ。
タクシーの中で絶命した賢太も潮時だったのか。
「正宗白鳥が死んだよ」
と私はそのひとに言った。昨日まで「正宗先生」と言っていたのだが、「センセイ」とか「サマ」などという敬称は、いらないのだ。どんな賢い者も、どんな阿呆の者でも、どんな美しい者も醜い者でも、どんなに地位があっても、権力があっても死ねば誰でも同じ物になるのだから、私はほっとするのである。