War Is Over

 if you want it

Private Requiem

吉本隆明『追悼私記』を読み終える。今までに読んだ吉本隆明の本(詩集除く)で最も抒情的で〈エモい〉文章が収録されている。追悼文でありながら故人への批判になっていたり、社会的には無名に等しい知人の生涯について立ち入った考察をしていたり、「あとがき」で著者自身が書いているように、〈痛切〉をモチーフにした人間論になっていて、こんな風な文章を吉本隆明について書いている人はいないのだろうかと思った。巻末の高橋源一郎の文章はそれに近いが。

 

外山恒一がこんな文章を書いているのをネットで拾って張り付けてみる。きわめてまっとうな考えの持ち主だと思う。

吉本隆明先生(「先生」と漢字で表記する場合には、本気で尊敬していることを意味する。ぼくが「先生」と呼ばざるを得ないほど尊敬しているのは、吉本先生と、中島みゆき先生の御二人だけである)の『わが「転向」』(文春文庫)や『私の「戦争論」』(ぶんか社)なども改めて買って熟読する。

ぼくが「左」翼の連中に嫌われ、憎まれるのは、ぼくが“吉本派”の左翼であるためという側面も大きい。

戦後一貫して“無党派”左翼のカリスマだった吉本先生だが、80年代初頭の『「反核」異論』(深夜業書)以後、ほとんど“裏切者”呼ばわりの不当な扱いを受けている。

さらに近年では、柄谷行人浅田彰など後進世代のカリスマ論客が、吉本先生が御高齢でたまにしか冴えなくなったのをいいことに、卑劣な“批判”を先生に仕掛けるようになったため、先生はますます孤立無援のキビしい状況に追い込まれてしまっている。

ぼくがまだ無名で、先生への側面支援すら困難なことが、悔しくてたまらない。

吉本先生が御存命のうちに、なんとしてでも功成り名を上げて、若者(っつってももう30だが)の中にちゃんと、先生の志を受け継いでいる者がいることを分かってもらって、不謹慎な云い方だが、未来への希望をもって幸せな気持ちで生涯をまっとうしてほしいと、本気で思っている。

僕は「団塊の世代」は嫌いだが、吉本隆明が彼らのバイブルだからといって吉本を否定的に評価することはしない。連中がろくでもないのは吉本のせいではなくて吉本を自分に都合のいい読み方しかしなかった連中自身のせいである。

敗戦と戦後の左翼運動という時代状況の中で単独で闘い舞って見せた吉本隆明のような存在が九十年代以降に二十一世紀に至る現在まで現れていないのは時代の制約を抜きにしては考えられないのだろう。世が世なら外山恒一はもっと評価されていてよかったはずだ。