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サワダオサム「独断的上林暁論」が面白かったので、「わが上林暁上林暁との対話」も借りる。こんなに面白い本が読まれないのは勿体ない。まあ上林暁自身もうほとんど読まれない作家だから仕方ないか。太宰治好きの又吉直樹が紹介して多少知名度が上がったようだ。

この本は書店では手に入らず、この図書館だからこそ所蔵されているもののようだ。だが内容はとても貴重で広く読まれるべき、というより今の自分にとって読む価値のある本である。どんなにいい本でも読むべき時機というものがある。去年はあれほど夢中になった小島信夫の小説や評論を今読む気がしないように、今夢中になっている本も時機を過ぎれば読もうとは思わなくなるのだろう。

サワダオサムが上林暁に託して語っているのは、文学というのは人間の真実の生きざま、「ひとの世の悲しみ」を書くことであり、書くということは、悲しみを見つめ、悲しみに耐え、悲しみの底にある人それぞれの辛さ、嘆き、怒り、恨みの底に流れる人類普遍の生きて在ることを書くことである。上林暁は、それを己の文学精神のよりどころとした。
上林は東大英文科を出て文芸誌「改造」の編集部に勤めるが、小説家になることを志して退職、妻子とともに故郷に戻る。実家で三年ほど苦境を舐めたのちに再び上京、オンボロの借家に暮らし文学で生計を立てることを決意。しかし生活は苦しく、夫婦間の不和や生活への疲労から妻が精神を病み、入院、そして病院で亡くなる。この間の経緯を綴った「病妻もの」が上林の文名を高めたのは皮肉なことである。

「聖ヨハネ病院にて」が生涯の代表作とされる。しかし上林暁の小説にはもっといいのがたくさんあるし、脳溢血で倒れてからのもののほうが良いといわれる。二度倒れているが、二度目の後は半身不随となり不自由な左手で書いた。判読困難な文字を妹が清書し、作品にすることができた。
サワダオサムは妹・睦子が、舞台裏を見せてはいけないという筑摩書房の社長の言うことに従わずに回想録(「兄の左手」)を出したり、上林の日記を全集に収録する際に自分にかかわる記述を削除するなどのエゴイズムを大胆に指摘している。あるいはこうした率直すぎる物言いのために出版界からハブられているのだろうか。新聞業界では反体制側の活動家として有名らしいし。

上林の未発表原稿を集めたツェッペリン飛行船と黙想』という書物をめぐっては遺族と出版社の間で裁判になって揉めたりしたようだ。そういうことを死後の上林は知る由もないが、彼の文学は父母兄弟や妻子などの犠牲によって成り立っていたところもあるので、こういった親族によるトラブルも仕方ないのかもしれない。

暁の孫が作成したブログには、「ツェッペリン飛行船と黙想」の出版をめぐる裁判の経緯が書かれており、その中にサワダオサムも登場人物の一人として出てくる。

この裁判の第一審判決はウェブ上で読むことができる。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/752/085752_hanrei.pdf