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ブレインフォグと川端康成と女たちと

最近眠りが浅くなっているのか、朝起きてからもずっと頭がぼんやりしてスッキリしない。ブレイン・フォグBrain Fogというのはこういうことを言うのかと思ったりする。

この状態を初めて自覚したのは去年の秋ごろ、コロナのワクチンの二回目を打った後のことで、今年の三月に三回目を打った後から酷くなった気がしていて、ワクチン陰謀論は採らないが、何か因果関係があるんじゃないかとの疑念も起きないでもない。とはいえそれを追求しても詮無きことだろう。単なる老化の可能性も十分にある。

晩年の川端康成睡眠障害に苦しみ、強い薬を使いすぎて仕事ができなくなったことを苦にしていたという。川端が自殺したのは七十を過ぎてからなのでまだまだ自分はそんな年じゃないのだが、ついそういうことを考えてしまうのは、今日読んだ本とも関係がある。

「追悼の文学史」(講談社文芸文庫編)川端康成に対する追悼文は、武田泰淳中村真一郎円地文子丹羽文雄、大庭みな子、佐多稲子井上靖竹西寛子、小田切進、舟橋聖一が載っている。訃報から間もない時期に書かれたものばかりで、当然ながら故人を非難するような文章はない。

小谷野敦川端康成と女たち」(幻冬舎新書を面白く読んだ。タイトルから連想されるようなスキャンダルめいた内容ではなく、しっかりした川端の作品論である。小谷野敦の小説評は歯に衣着せずバッサリ評価しているのが読んでいて気持ちよく、好みの問題もあるので必ずしもすべての意見に同意するわけではないが、この人がいいと言う小説はたいてい間違いがないので読書の指針にしている。

この本によると、川端が死んだときに五味康祐が「新潮」臨時増刊号に「魔界」という小説を載せ、これが川端の批判、いや誹謗中傷に近い内容だという。この小説に引用されている一休禅師の「仏界入り易く、魔界入り難し」という言葉が今なおひどく安直に川端論のキーワードに使われていると小谷野は憤っている。

川端の没後五年して臼井吉見「事故のてんまつ」という本を出し、そこに川端が晩年に安曇野出身の若い女性をお手伝いとして大変かわいがり、その女性が辞めて帰ってしまったことを苦にして自殺したという憶測が書かれていて、遺族との訴訟沙汰になり、絶版となるという事件があった。その経緯は小谷野の現代文学論争」(筑摩選書)に詳しく書かれていて以前読んだ記憶がある。そのときは臼井の言い分が的を射ているので遺族が反応したのでは、と感じたが、今は川端の自殺はやはり睡眠障害睡眠薬の影響(それに関連する鬱病などの症状)ではなかったかと思っている。

先日NHK-BSで再放送されていた、川端と三島の関係を扱ったドキュメンタリーの中で、川端が三島に「ノーベル賞を自分に譲ってくれ」と言ったというような証言が取り上げられていたが、小谷野はそんなはずはないと否定している。自分も同感である。

ノーベル賞の受賞直後、ハワイ大学から日本文学講座の講師として招かれた時の逸話を、「源氏物語」の現代語訳で有名な円地文子が紹介している。

ところで、ハワイの川端さんは広義の題目に源氏物語を選まれていた。

一週二回の講義日になると、まことに厭そうに、源氏の注釈本の必要なページを、そこだけ破って、持って出かけられたそうだ。(中略)

川端さんは「桐壺」のはじめの方について話され、殊に口語訳の部分について、細かく指摘された。

例えば、

注釈書の通釈部分で、一番最初の、

いづれの御時にか」を「どの御世のことであったか」と訳してあると、川端さんは、

「この『ど』がいけない」

といわれたそうだ。

恐らく濁音が文章を汚くするのを厭われたのだと思うが、私は、こういう鋭い語感によって捕らえられた「源氏」の口語訳が、せめて一巻でも、残せたならばと、今となっては永遠にとり返せぬ愚痴がやはり心に浮かんで来るのである。