War Is Over

 if you want it

私小説とケンドリックとトール

もう日本は経済的に大きく浮上することはなく、ジリ貧に陥る一方と思われるので、これからは経済的な豊かさ以外のことに主な喜びを見出していくしかない。そんな時代にあって、貧困や苦しみの中で何気ない日常生活に生きる歓びを見出すことの価値を教えてくれる私小説の存在意義は大きい。とりわけ高齢者の書く私小説が増えていくのは必然であり望ましいことだ。
保坂和志の短編小説に文字通り「生きる歓び」というのがあるが、これはいい小説だと思う。あっさり書かれているように思えるから自分でも書けるんじゃないかと思って書こうとしても、当たり前のことだが書けない。それでも読んでいるだけでも面白い。
保坂和志小島信夫に傾倒していて、小島の晩年のスタイルを参考にして自分の中に取り入れていると思うのだが、その文体は言ってみれば「だらしなさ」と紙一重なので、失敗するとただみっともないだけの文章になってしまう。だがそのみっともなさに独特の味があるということもある。どっちにせよ、このスタイルがどんどん発展していけばいいと思う。

 

ケンドリック・ラマ―Kendrick Lammarの新作Mr. Morale & The Big Steppersには、ドイツ出身のスピリチュアル教師エックハルト・トールEckhart Tolleの講話がサンプリングされていて、ちょっとした話題になっているようだ。
トールの本は以前結構読んだ。The Power of Nowという主著は、邦訳されており、「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」という邦題で台無しにされているが、中身はなかなかいい本である(邦訳で読んでもダメ)。A New Earthという本もあって、これがオプラ・ウィンフリーというアメリカの黒柳徹子のような人に紹介されブームになり何百万部も売れた。
普通この手の〈教師〉は一冊売れたら似たような本を水増しして何十冊も乱発するのが常なのに、ほとんどこの二冊以外は出していない。実際、この二冊に書かれていることに付け加えることは何もない。印税目当てに本を次から次に出さなくてもセミナーや講演会(有料ウェビナー)などで十分に稼げるのだろう。
僕はトールの言うことは、この分野では真っ当なほうだと思っているが、彼の後にいわゆる〈ノン・デュアリティ〉系の教えが無数に出てきてその内実はもう陳腐化してしまっている。〈教師〉と呼ばれて精神的指導者(グル)として祭り上げられる誘惑を拒絶できるかどうかでその人間の質がわかる。たいてい信奉者と性的な関係を持ったりして堕落していくパターンが多いが、トールはどうなのか知らない。ケンドリックがトールを個人的なメンターとして頼っているのなら、かつてビートルズマハリシ・マヘシ・ヨギに頼ったのと同じで、それ自体は特段非難すべきことではない。
何にしても、Mr. Morale & The Big Steppersというアルバムは全体的に内向的でアンビエントで心地いいのでこの数日間ずっと聴き続けている。アルバムの制作陣の一人Duval Timothyの作品も派生して愛聴盤になりそうだ。

"Help" Duval Timothy