War Is Over

 if you want it

あっちの話(2)

今朝NHK・BSのワールドニュースで、アメリカの議会でUFO問題が真剣に討議されたと報じられていた(まったくどうでもいい話だが、僕はこの番組の高橋彩というキャスターを見るのを、かつて国谷裕子さんを見ていたように朝の楽しみにしている)。僕はアメリカ政府(の一部)はUFOについて多くのことを知っているが隠蔽していると思っていたし今もそう勘ぐっている。ディスクロージャー・プロジェクトというアメリカでUFO機密情報を公開せよという運動があって、その関係の資料を翻訳したこともある。最近は、永久に隠し続けることはできないので今から何十年かかけて徐々に大衆がパニックにならないように慎重に情報を公開していく方針に変わった、という説もあるようだ。ユリ・ゲラーがそんなことを語っていた。
世間ではなぜかUFOと超能力とスピリチュアル(精神世界)が同じようなものとしてジャンル分けされている。その共通点は、近代科学では解明できないものというだけで、なぜ一緒にされるのかよく分からない。幽霊やお化けの話と同じような扱いをされている。だがそのことには一理ある。

大抵の人は、ある人物が精神世界とかスピリチュアルとかに興味を持っていると聞けば、関わりを避けようとして距離を置くだろう。例外的な人は意気投合したり心酔するなどするだろう。反発し毛嫌いし憎悪する人もいるだろう。僕はある時期まで「精神世界」に相当なところまでハマったという自覚があるが、結局人生の多くの時間を無駄にしただけだったと振り返っている人間である。とはいえ、その間に何か別のことをしていればよかったかというと何も思いつかない。
今の僕は、ある人物が精神世界とかスピリチュアルとかに興味を持ち、かなりの知識を持っていると聞けば、反発や毛嫌いはしないが、関わりを避けようとして距離を置く。そういう人に関わると九分九厘ロクなことにならないのを知っているからだ。


人が死んだ時「今ごろは天国で先に行った人たちと会っているだろう」などと他人や自分を慰めるつもりで言うことがある。僕自身も言ったことがある。ほとんどの人は一時の慰めのつもりだと分かって言うのだが、スピリチュアルを信じている人は本気で言っている。
僕は若い頃にスウェーデンボルグなどの本を読みまくったせいで、死後の生はあるとしか思えなくなった。しかし「死ねばすべては無だ」と信じている人を否定するつもりはない。死後の世界を信じることは、生きている私たちにとって害がなければ、別に構わないが、来世の救済を信じて自爆テロを行う殉教者を見ればわかる通り、実際には害もある。「死ねばすべては無だ」と信じている人間よりも、来世を信じている人間の方がはるかに危険な存在になりうる。
似たようなことは輪廻とかカルマの思想にもある。美貌や幸運に恵まれている人に対して「前世で徳を積んだからだろう」などと安易に言うのは、逆に言えば身体障碍や虐待などに苦しむ人は「前世で悪いことをしたからだ」ということになり、とてつもない差別思想につながる。インドのカースト制度が生み出している悲劇は、こうした輪廻やカルマという信仰と切り離すことができない。マルクスが「宗教は阿片だ」といって、こうした迷信から人類を解放しようとしたのは必要なことだったと思う。