War Is Over

 if you want it

大きなクジラ

『疒の歌』の解説だけ先に読む。

映画「苦役列車」の監督・山下敦弘が書いている。西村賢太の死後に書かれたもの。

苦役列車はいうまでもなく芥川賞受賞作で、西村の最も有名な作品である。

しかし前にも書いたように、ぼくはこの小説をあまり高く評価していないし、西村賢太も「この小説に愛着はない」と言い切っている。

そして映画のことは、ボロクソにけなしている。

「どうしようもなくつまらない映画」
「原作者として名前をつらねるのも不快」
「時間のムダ」
「二度と見ない」
「金を払ってまで観ようとは思わない」
「見る価値はない」
「中途半端で陳腐な青春ムービー」
「ストーリーの改変も、原作を超えてくれるものであれば、それはまた別物として大歓迎なのだが、客観的に見ても到底その域には達していない」

(『一私小説書きの日乗』より)

賢太はこれらの発言を「逆宣伝のため」などと言っていたが、映画自体を評価していないというのは本音であったろう。

ぼくはこの映画を見ていない。いや、見たのかもしれないが、忘れてしまった。

山下敦弘監督の映画は、夏川結衣が出ている天然コケッコーを見たことがある(鳥居みゆきが出た「全然大丈夫」も見たが、今調べたらこっちは違う監督だった)。

独特の雰囲気を持つ商業映画の作り手として、確かな腕を持った監督であるという印象だ。

苦役列車」も森山未來前田敦子が出演していて、公開当時話題になっているのは知っていたし、原作者の西村が批判しているのも何となくは耳に入っていたが、どうも見に行こうという気になれなかった(繰り返すが、見たかもしれないが、忘れている)。

それはやはり「苦役列車」という小説自体が面白いと思えなかったからだ。

底辺労働に従事する若者のルサンチマンに溢れた独白を延々と聞かされているような小説で、読んでいて飽き飽きした。そしてこれを映画化して面白くなるビジョンが全く見えなかった。

原作を評価しないくせに言うのも何だが、原作者が映画について上記のような暴言めいた批判を公開するのも納得できた。むしろその正直すぎる態度が面白いと思った。

山下敦弘の書いた『疒の歌』解説は、素晴らしいと思った。

正直すぎる西村賢太に対して、山下もまた正直に「こいつは嫌な奴だ」書いているからだ。

急逝したからといって、作家として惜しい人を亡くした、と沈痛な面持ちで悼んで見せるのではなく、「批判すること自体はいい。だが、映画の関係者の前ではにこやかに振舞っていながら、文章ではボロクソにけなすというしみったれた態度が許せなかった」とハッキリ書いている。

山下もまた西村に再反論して、文芸誌の対談記事では喧嘩のようになったりもしている。その経過も率直に振り返っている。

ぼくはどちらの正直さにも拍手を送りたい。いい解説を読ませてもらった。

 

『一私小説書きの日乗 憤怒の章』の解説も読んだ。

玉袋筋太郎が書いている。これは素直に泣いた。

西村賢太と本気で喧嘩して、心から和解した人だけが書ける、いい文章だった。

 

西村賢太のような人間について書けば、「いい人だった」で終わるはずがない。

ある程度付き合いのあった人なら「正直に言えば、あんな嫌な奴はいなかった」と書くのが普通だろう。

しかし、どんなに口を極めて罵ったとしても、西村賢太が〈北町貫多〉を罵ったほど強烈に彼をdisれる人間はいないだろう。

西村賢太というのは、文学に縋りつくことで、すべてのマイナスをプラスに転化させた、根がどこまでも狡猾にできてる男だったと思う。彼は〈文学に縋りつく〉という、その一点において、他の誰にも真似のできないほど一途な人間であった。

あんな人はもう出てこない。俺の代わりに小説の中で悪いことをすべてやってくれているような北町貫多を生んだ賢太先生。隠すことがなく、ありのままの人間を描き、強烈な印象を残した賢太先生を、もう褒めることができないと思うと、寂しい。

玉袋筋太郎『一私小説書きの日乗 憤怒の章』解説より

※今回の記事タイトルの意味は玉袋氏の解説を読めば分かります