War Is Over

 if you want it

自滅覚悟の一踊り

とりあえず西村賢太<一私小説書きの日乗>シリーズの既刊本の中から、引っかかる個所をすべて抜き出すところから始め、2019年11月まで来た。だが一、二度読んだだけでは素通りした箇所があるかもしれないので、眼光紙背に徹す為には、最低でも五回は回さないと何も見えてはこない。

それはそれとして、この日乗シリーズを読んでいて感じるのは、<戯作者精神を持つ男の強烈な自己規制>である。これは西村が藤澤清造について語った言葉だが、そのまま西村賢太自身にも、恐ろしいほどに当てはまるのだ。

それはもう自分は文士以外の何者でもないと云う自覚、戯作者は戯作者になり切り、それに徹した生活をしなければならぬと云う意志、それでダメならこの世とオサラバすればいいだけのことだと云う八方破れの覚悟。それは遠からず破滅、或いは自滅することは実感として承知しながら、自分で自分の存在のかたちをこうと決め、その道を突き進むと云うよりも、その道を踏み外さぬように自己をコントロールしていると云った塩梅式のものである。

藤澤清造――自滅覚悟の一踊り」(「北國文華」第七号、平成13年3月)

そしてもう一つ、これは全くの妄想だが、西村は<第二の秋恵もの>となったはずの、芥川賞以降の女性関係について将来書くだろうとき、内心にふとこっていた考えがあったのではないのだろうか。

すなわち、西村は同人誌に発表した「けがれなき酒のへど」という作品の題名を、最初は藤澤清造の作品に倣って「女地獄」とする予定だったが、結句変更した。同人誌に載せる作品に軽々しくこの題名を使うべきではないと考えたからである。

ところがこの作品は商業誌に転載されることとなり、そうなるとこの題をつけなかったことを大いに後悔した。その後依頼を受けて商業誌に初めて書いた作品には、清造の商業誌第一作目に倣い、思い切って「一夜」の題を冠した。

そしてこう書く。

私はいつか必ずや私なりの「女地獄」をものしてから終わりたい。それは私は、買淫の常習癖のある酒乱のDV男ではあるが、これで根は随分とフェミニズムに憧れているので、やはりこの題名の響きに執着したいし、この題名のものを最後の最後、いよいよその状況が来たときの切り札として握りしめていたい。

「『女地獄』を憶う」(「新潮」平成17年11月)

西村賢太は、結句この切り札を握りしめたまま旅立った。