War Is Over

 if you want it

西村賢太の(芥川賞以後の)〈女地獄〉について

西村賢太の「(芥川賞以後の)女関係」について、<日乗シリーズ>を分析してみようと熱中し始めたのだが、「葛山久子の手記」を読んで、何だか真面目に考察するのが馬鹿馬鹿しくなってきたので(その理由については、改めて書く)、もう投げやりに、思いついたことを五月雨式に書いていくことにする。非常に雑駁かつ不正確なものなので、論考というより単なる雑感に近い。

「蝙蝠か燕か」の記述を信じるなら、賢太は2012年の正月には既に一緒に過ごす女性がいたことになる(2019年の正月を、7年ぶりに一人で過ごすと書いているので)。

※追記 これは誤り。2013年の正月から。後記事参照(物好きな人がいれば)。

2011年初に「苦役列車」で芥川賞を取り、「風俗に行こうと思っていた」発言でブレイクし、テレビなどのメディアにここぞとばかり滅多矢鱈に露出して「女が欲しい」と連呼していた賢太の元には、相当数の女性たちからのアプローチがあったと思われる。

非モテ」を自己演出していた賢太だが、ああいう大柄で豪快なタイプ(でも内面は繊細でローンウルフ体質で根はスタイリストにできてる)に惹かれる女性はけっこういる。何よりも、芥川賞作家である。有名人である。その規模はかつての川崎長太郎ブームなどとは比較にならなかったはずだ。

女性からのアプローチは、主に出版社(新潮社)気付で送られた読者からの手紙という形をとった。厳選を重ねて目ぼしい相手とみなした手紙に賢太が返信を書き、文通を通して交際に至るというパターンだ(この辺の書簡が将来古書店で取引されるようになるのだろうか)。

で、東京でのデートの約束を取り付け、浅草の演芸ホールで一緒に寄席を聴き、終演後に<清造スポット>たる久保田万太郎旧居前を通り、その並びの、回転寿司を少し高級にした店(「日乗」では「安寿司屋」として多々言及される店)で小腹を満たした後、二人で鶯谷かどこかのホテルへ、というおきまりのコースがあったことが推察せらる。

細かい論証は省くが、日記の記述から、2011年の7月から9月にかけて、そのような関係にある女性が少なくとも一人はいたと推察される。7年間付き合った女性というのがその人だとすれば、2012年の正月からはその女性と一緒に過ごしている。この間も買淫に赴いていることから、賢太が「蝙蝠か燕か」で書いている通り、ずっと同居していたのではなく、ひと月のうち10日くらいを(彼女のマンションで)一緒に過ごし、それ以外は滝野川の自室で仕事したり買淫に行ったりしていたのだろう。

そういう生活が始まったのは、「日乗」に初めて「帰室」という表現が登場する2012年5月頃ではないか。それまでは外で会うかお互いの都合に合わせて行ったり来たりしていたのだろう。5月に、必要に迫られて部屋を片付けようとする記述があるから、当初は彼女が部屋に来て同居することも考えていたのかもしれない。6月2日に、寄贈本を作る際に、版元に送付先の住所氏名を知られるのが憚られる「極めて個人的な交遊相手」が存在すると書いている(文芸春秋H24.8「月間日記」より)。

「日乗」に女性の姿があからさまに現れるのは2012年7月である。浅草で寄席を聴き、バッティングセンターに行き、寿司を食べ、東京ドームにナイターを見に行き、「信濃路」で飲み、バルト9と銀座で「苦役列車」を見ている。これがすべて同じ女性なのかは分からない。ただ8月には「思うところあり、買淫を一時中止している」とあり、週刊誌からの風俗についてのインタビュー依頼も思うところあって断ったと書いてあるのは、ステディな関係にある女性を慮ってのことであろう。9月21日には、彼女のために銀座松屋の「ベルサイユのばら展」にまで赴き、オスカルグッズを百点近く購入までしている。10月23日には、テレビの生放送の後にタクシーで浦安(ディズニーランド)に行ってデート、翌日銀座で買い物した後に空港(たぶん羽田)まで見送っている。

なお、この女性は「葛山久子」とは違う。理由は、彼女とは2014年2月に「十年ぶりに」会ったと記述があるからだ。「風花」で女性記者2名に言い寄られていい感じなったが、翌日メールを送ったら事務的な対応をされた、という葛山手記のエピソードはこのときのことである。

今日はここまで。