War Is Over

 if you want it

西村賢太の〈女地獄〉(2)

<一私小説書きの日乗シリーズ>から<買淫>を抽出するというアホな作業をしてわかったこと。

公開日記を開始した2011年4月から翌12年7月までは、およそ月1~2回のペースで<>に赴いているのだが、2012年8月から2013年2月までは一回もなし。
2012年8月には日記に「思うところあり、買淫を一時中止している」と書いているので、この期間<>がないのは自らの意志によるものである。逆に言えば、この期間は<>に赴かずともその欲求が満たされていたということであろう。
しかし、2013年3月にはいったんこの禁を破り、4月にはまたゼロに戻る。そして、5月に3回、6月には5回、7月も3回と、堰を切ったようにまたぞろ<>をいそいそと開始している。ここに至って禁は完全に解けたように思われる。
年間の回数でいうと、2011年は日記を発表し始めた4月から12月までで9回、2012年はトータルで8回。しかし13年は23回、14年は22回、15年は23回、と、明らかにペースが戻っている。このことからすると、特定の女性との関係が順調で、<>に赴く必要がなかった時期というのは2013年前半までで終わり、それ以降は、その女性とは、賢太いうところの長い「互いに修復を探り合いながらの冷戦状態」(「蝙蝠か燕か」より)に入ったのではないかと思われる。
無論、<>に赴いた日についてすべて書いているとは限らないから、回数はあくまで概算というか目安にすぎないが、賢太自身の発言ともおよそ整合性があるので、あながち的外れな推測でもあるまいと思う。
この女性(知人)とは、〈冷戦状態〉にあったとはいえ、年末年始は毎年一緒に過ごしていたようだし、この知人の姪(たぶん)に玩具を買ってあげたり、保育園児の姪から電話がかかってきて、他愛無い会話をして目頭を熱くさせたりもしている。「蝙蝠か燕か」では、彼女の複雑な性格に振り回されたようなことも仄めかされていて、この<知人>との関係はいったいどのようなものであったのか、賢太自身が作品化したものを読みたかったという詮無き思いに囚われてしまう。