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英光との出会い

西村賢太やまいだれの歌」を読んでいる(再読)。

今朝はちょうど、貫多が田中英光全集第七巻と運命的な出会いを果たす場面だった。

よりにもよって、貫多と田中英光との出会いが、この全集第七巻だったというところに運命を感じずにはおれない(もっとも現実の賢太と田中英光との出会いがそうであったかどうかは分からない)。

田中英光全集は今、国立国会図書館オンラインでも読むことができるが、それを読めば、十九歳の北町貫多が、「どうしよう、とんでもないものを読んでしまった」と居ても立ってもいられぬ感じに追い込まれて宿の外へ飛び出したほどの衝撃を受けた読書体験を味わうことができる。

この巻には、主として昭和二十三年から昭和二十五年にかけて発表された作品(死後に発表されたものも含む)が収められている。つまり田中英光三津浜から上京し、山崎敬子と同棲生活に入った時期を中心としている。

収録作は、    
・    暗黒天使と小悪魔(「諷刺文学」昭和二十三年一月、第七号)
・    野狐(「知識人」昭和二十四年五月号)
・    離魂(「新小説」昭和二十四年八月号)
・    月光癲狂院(「新潮」昭和二十四年十月号)
・    蛇と狂人(小説新潮」昭和二十四年十月号)
・    愛と憎しみの傷に(「人間創作集」昭和二十四年十一月)
・    さようなら(「個性」昭和二十四年十一月号)
・    聖ヤクザ(「新潮」昭和二十四年十二月号に「絶筆」として発表)
・    魔王(「世界春秋」昭和二十四年十二月号)
・    君あしたに去りぬ(「群像」昭和二十四年十二月号に「遺作」として発表)
・    子供たちに(「新小説」昭和二十五年一月号)
・    白状します(「東北文学」昭和二十三年九月号)
・    ヒラザワ氏病(「表現」昭和二十四年六月号)
・    女の執念(「個性」昭和二十四年一月号)
・    今様一大女(「新小説」昭和二十四年十二月号に「絶筆」として発表)
・    便乗について(「新日本文学」昭和二十四年八月号)
・    下山事件のインテリ的考察(「新潮」昭和二十四年八月号)
・    汝を愛し且つ憎む(「群像」昭和二十四年十一月号)
・    私は愛に追いつめられた(「婦人画報」昭和二十四年十二月号)
・    解説=檀一雄
・    山崎敬子宛 英光の手紙

「刺された日のこと」という愛人・山崎敬子の手記と、「思い出」という妻・田中喜代子の手記も収録されている。

この時期の作品は、田中が自裁する直前の、日本文学史上にもちょっと他に例のないような、破滅型の極致ともいえる凄絶な私小説ばかりである。

驚くのは、上の発表時期を眺めても分かるとおり、この短期間に、ものすごい量の作品を量産しているということである。これらの私小説の中では、田中はアドルム中毒で四六時中酩酊していたような印象を受けるが、同時にこれだけの執筆活動を旺盛に行っていたのである。これは底なしの体力と意志的な努力がないと書けない。

もっとも、限界まで量産しているせいで、文章は勢い任せのようなところがあり、正宗白鳥はこれに「前をまくって、小便を垂れながら大道を歩いている」という厳しい評を浴びせたが、僕には、血をダラダラと流しながら書かれたような小説に思える。読む側にも精神的な余力と体力がないとキツい。

十九歳の北町貫多は、この全集第七巻を、夢中になって一晩で全部読んだ。そして、とんでもないものを読んでしまった、と大興奮して、外に飛び出してしまうほどの、ほとんど肉体的な衝撃を受けた。

とにかく、その文章にも驚いていた。ヘタ過ぎて、驚いていたのである。

こんなのが純文学であってもいいのか、と思った。そしてこんな純文学がこの世にはあったのかと、その余りにも共感できる内容の面白さに圧倒されていた。それが、わけの分からぬ興奮を激しく誘っていた。

貫多がそれまで読んできた小説は、横溝正史などのミステリー作家による、職人的ともいってよい巧みな文章ばかりであり、

ムヤミと読点の多い、そのくせ改行が殆どないその文章は、中卒の、根が押しも押されもせぬ劣等生にできている貫多の目にすら、恐ろしく 篦棒なものであった。しかし、何やら読まされるのである。

英光の小説に対する貫多の次の感想は、そのまんま西村賢太の小説にも当てはまるような気がする。つまり、西村の小説が目指したものがここに明瞭に表現されている。

書かれてあることも自身の愚かな振舞いの、その不様さをくどくど述べ立てているに過ぎないのだが、しかし、何やらユーモアを湛えた筆致で一気に読ませてくるのである。

アクチュアル、とでもいうのか、どんなに陰惨で情けないことを叙しても、それはカラリと乾いて、まるで湿り気がない。どんなに女々しいことを述べていても、それにも確と叡智が漲り、そしてどこまでも男臭くて心地がいい。

自身の悲惨を、何か他人事みたいな涼しい顔で語りつつ、それでいて作者はその悲惨を極めて客観的に直視しているのだ。

追記:角川文庫版「一私小説書きの日乗」解説で、江上剛が全く同じ個所を引用していた。

その後十年間にわたり、二十代の西村は、文字通り「寝ても英光、覚めても英光」の生活を送り、「田中英光私研究」という冊子を八号にわたり発行したほどのめり込むことになるのだが、その出会いの衝撃は、「やまいだれの歌」の中で、当時の感動そのままに、生き生きと活写されている。

そしてそれから三時間ののちに、一巻すべてを読み上げて、またもや屋外に飛び出してきたときの貫多は、すでにその脳中は田中英光のことで一杯の状態だった。

今先に覚えた作中の一節を脳中に反芻し、口絵の肖像を思い浮かべ、やがて〝英光、英光“と呟きながら、何かの精神的な病に冒されたかのような顔付きと足付きとでもって、身の置き所のない異様な心身の昂揚を鎮める為に、界隈をウロウロ歩き廻ったのである。