War Is Over

 if you want it

女地獄(西村賢太)3

詮無き妄想を続けることとす。

前の記事で、2012年の正月には一緒に過ごす女性がいたかもしれない的なことを書いたが、これは誤りであった。

というのは、2012年3月16日(金)に「en-taxi」誌の企画でマツコ・デラックスと対談した際に、彼女を作ることは諦め、すべて金で解決することに決めたと述べているからである。もう少し補足すると、西村は、若い女性から来た手紙には必ず返事を書き、メールの番号が書いているのには100パーセント返信していたが、バレンタインにチョコを送って来た女がいて、それに返信したら「色紙をいただけませんか」と、色紙目当てだったことにガッカリしたという話から、前述の発言につながるわけである。悪い流れを断ち切るために、手紙が届いても、これからは返信しない態度を貫こうと決めてるとも言っている。

つまり、2012年3月までは、居宅で共に過ごすような関係性の女性はいなかった。

ところが、この年の夏ころから、一緒に寄席を聞き、バッティングセンターに行き、東京ドームにナイターを見に行くような<知人>が登場する。8月には「思うところあり、買淫を一時中止する」と決め、9月にはその知人のために銀座松屋の<ベルサイユのばら展>に赴き、期間中、見に来られぬ知人に頼まれ、会場限定グッズを入手するため。オスカルグッズを百点近く購入もしている。10月には「ニッポン・ダンディ」収録後にタクシーで浦安(多分ディズニー)に行き、翌日銀座で買い物して、午後二時半すぎに空港まで見送りに行っている。

で、同年12月3日に「アサヒ芸能」の企画で行われた岩井志麻子との対談冒頭で、岩井から「どうですか最近、風俗のほうは。」と訊ねられ、「最近は休みがちです。実は女ができまして。」と答えている。続けて、「作家はモテませんが、芥川賞作家はモテるんです。初めてそれに気づきました。」と言っている。3月にマツコに言ったのとは真逆のニュアンスの発言である。

12月20日東武デパート内の伊東屋でプレゼント用の万年筆を買い、翌21日にはたぶん知人つながりで大塚の萬劇場に芝居を観に行っている(この時の演目が何であったかは調べるも不明であった)。それで2013年の年始はこの<知人>と共に過ごしたことが、「蝙蝠か燕か」の「七年ぶりに一人で過ごす正月」との記述から分かる。

<帰室>と<帰宅>の使い分けが始まったのは、2013年2月からであり、この頃から、月に十日ほどを某地方都市にある彼女のマンションで過ごし、残りを滝野川の自室で過ごすという生活サイクルが始まったのではないかと思われる。前の記事で書いたように、この年には「買淫の一時中止」は解禁される。

思うに、2012年半ばから交際を開始した頃は彼女一筋の思いもあったが、交際半年を過ぎる頃からは、当初の初々しい恋愛感覚は失せ、よく言えば安定的な、悪く言えば惰性的な関係に入ることとなったのであろう。そして半同棲的な期間を経てるうちに長き冷戦状態となり、遂に2018年10月に最終的な破局を迎えたものである。

彼女のほうで賢太との関係をどう考えていたのかは知る由もないが、賢太の側では、腰痛の際には湿布を貼ってもらったり、こまごまとした身の回りの世話をしてもらいつつ、一方で買淫の自由は享受するという、甚だ自分勝手な独身生活を都合よく築いていたつもりだったのであろう。<女地獄>との題を表してはみたが、実際には女性の側にとっての地獄だったとも十分に考えられるところではある。

関係が冷えた時期もあったとはいえ、この女性は何んだかんだで足掛け七年も賢太と交際を続けたのだから、<秋恵>なぞよりもはるかに賢太を知ることは間違いなく、彼の生涯を語るうえで欠かせぬ存在でもあると言えよう。