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つれづれ

「コロナに感染した覚えがないのに」ある日突然、後遺症になった人についての記事がネットにあった。怖くて読む気になれないが、自分もそうなんじゃないかと思う時がある。目覚めが非常に悪くなったし、日中もぼんやりして脳の疲れを感じることが多い。だがツイッターのコメントなど読むとほとんどが仮病扱いだ。因果関係を証明しようがないので仕方がないだろう。確かに自分が他人から「コロナに感染した覚えがないのに、ある日突然、後遺症になった」と言われたら、ふざけるなと思うだろう。

厚生労働省「人口動態統計月報年計(概数)」によれば、感染拡大が本格化した2020年4月以降の妊娠による出産を反映した2021年の出生数(日本における日本人)は81万1604人にとどまり、過去最少を更新した。コロナ禍前から出生数減の流れは続いていたが、コロナ感染の影響で前年比3.5%の大幅減となった。ちなみに国立社会保障・人口問題研究所は日本人の出生数が81万人台前半になる時期を「2027年」と推計しており6年早まっている。
コロナ禍による出生数減の加速は、2022年以降も続きそうだ。2021年の婚姻件数は、激減した前年よりさらに4.6%も下落しているためだ。だが、コロナ禍が終息したとしても出生数減の流れは変わることはない。日本の出生数減の主要因は子供を産みうる年齢の女性数の減少だからである。
総務省の人口推計(2021年10月1日現在)によれば、0歳の女児は39万7000人。これに対して、30歳の日本人女性は57万9000人、20歳は57万1000人。20年後の20歳の日本人女性は現在より30.5%、30年後の30歳の日本人女性は31.4%少なくなる。コロナ禍は、構造的な要因による出生数減の流れをわずかばかり加速させたに過ぎない。
合計特殊出生率(女性が生涯に産む子供数の推計値)が2005年に過去最低の1.26にまで落ち込んだ後、わずかに上昇へと転じて2015年は1.45にまで回復したのだが、その後は再び下降線をたどり2021年は1.30である。日本の人口減少を長期的に止めようとするならば、合計特殊出生率を「人口置換水準」(親世代が同数の子世代によって人口を維持し得る出生力の水準)である2.07にまで上昇させなければならないが、到底現実的な数字ではない。
結婚しない人が増加して出生数が減れば、将来的に1人暮らし世帯が増えることとなる。高齢社会白書(2022年版)によれば、2040年には女性高齢者の4人に1人、男性高齢者も5人に1人が1人暮らしになる。認知症患者も増え、買い物難民や通院難民の増加は大きな社会コストとなる。人口減少社会に向けて、「縮小」を前提としてそれに適合することが求められている。人口が増え続けていた時代に作られた制度や、人口増を当て込んだビジネスモデルを、人口が減っても維持できる仕組みや手法へと根本から変えること。
人口減少は出生数だけで決まるものではない。その大きな要素は少子化より多死化。日本はこれから多死時代に突入。推計によれば、2024年から年間150万人以上死ぬ時代が到来。太平洋戦争期間中の年間平均死亡者数に匹敵。それが約50年間継続。日本に限らず平均寿命が延びて高齢化した国はすべて同じ道を辿ります。不可避な人口減少時代において、必要なのは、無闇に恐怖を煽るより、正しい認識を共有し、適応戦略を考えていくこと。
出生率が2を切ったのは1975年。47年間も目を背け続けてきた。
世界ダントツの高齢化社会に、止まらない少子化。この状況下では、新たな負担増避けようがない。ただ、増税を言えば選挙で勝てない。そうやって将来世代に負担を押し付け続けてきた結果が、今。
人口の多かった団塊ジュニア世代が社会に出るときに就職氷河期で、その後、ずっと日本は停滞したままだった。何もしないまま30年が過ぎ、団塊ジュニア世代も40代半ばから後半となり、子どもを産み育てる世代では無くなった。少子化問題を改善するためにはこの世代が30代までの時に何とかするべきだった。手遅れなのは、今わかったことではなく、もうかなり前に手遅れになっていた。
少子化問題というものが言われるようになったのは1990年でもう30年以上も前のこと。このままいけば、数十年先に人口減少が始まることは容易にわかっていた。
就職氷河期の未婚率はかなり高いし、既に子供を作れる年齢ではない、そんな人達を尻目に若い世代の子育て支援の為の増税を要求したところでそもそも収入が少ないので生活保護が増えるだけ。既に社会保険料を含めれば先進国の中でもかなりの重税。
今の20代の年収中央値は200万円台。労働者の社会保険料の負担率(実収入に対する割合)は1963年3.09%だったのに対して2021年は10.79%へと3.5倍も増えている。直接税は同1.7倍増。この上に消費税の負担がある。そんな子たちから老人の低負担高福祉を維持するために搾取してるのが今の日本。

小谷野敦のところに西村賢太をしのぶ会の案内が先月あたり来ていたのだが、発起人に島田雅彦がいたし会費が一万円もしたし賢太とは会ったことがないので欠席ハガキを出しておいたという。生前対談は断られたし、ハガキを出しても返事は来ないし むしろ私の片思いじゃないかなとツイートしていた。難しい人だったからね、田中慎弥が賢太の政治的スタンスをどう思っていたのか訊いてみたくはあるんだが、年収二百万円で会費一万円の西村賢太をしのぶ会には行けないだろう、(賢太は)最後のころは(年収)一千万行かなかったんじゃないかな、「文學界」以外の文藝誌からパージされていましたから、 最後の二年干されていました、「群像」は佐藤とし子編集長が賢太をパージしていたんだが死んでしまって賢太は喜んで復帰し、創作合評で俺を取り上げるなとかいろいろ注文をつけたんだが、そのあと編集長がまた変わったらパージされてしまった。賢太が対談で長年パージされていた石原慎太郎を呼び込んだら石原はパージされなかった、とのツイート。記録のために残しておく。
杉並区長選で共産党やれいわが推薦している女性候補が180票差で田中良に勝って当選したり、菊地成孔が前歯の手術をして一年間サックス吹いてはいけない宣告をされたり、息子に国民年金の納付書が届いたり、世の中は静かにしかし確実に動いている。先週の金曜日に国会図書館の遠隔複写サービスで頼んだ「田中英光私研究」掲載の西村賢太私小説デビュー作(?)二編(「室戸岬へ」と「野狐忌」)は未だに作業保留中のままだ。
5ちゃんねるの西村賢太スレにアクセス規制とかで書き込めなくなった。同じプロバイダを使っている人への規制なのか自分への通報なのかよくわからない。特に過激なことを書いた記憶もないので誰か別の人の巻き込み事故にあったのかもしれない。まあ別に書き込みができないからといって何の不都合も不満もないのだけど。
今、該スレッドで「賢太の藤澤清造への傾倒は一種の自己演出(演技)ではないか」というようなことが話題になっていて、作家になるために藤澤を利用したのだ、とか身銭を切ってそこまでのことができるか、とか言い争いしている。物事の真相は常に両極端の見解の中間にありグレー部分に存在すると思っているので、この件もそんなところだと思うが、ネットに転がっている説の中で、朝日書林の荒川氏が賢太に5、600万円も金を貸してそれが藤澤清造の墓標買い取りの原資に使われた(要は荒川氏が〝賢太が一発当てる゛のを見込んで貸した)というようなことを書いているのがあったが、荒川氏が損得を考えずに他人の面倒を見る奇特な人物であることは、ネットに転がっている他のエピソードからも窺い知れるので、まったく的外れな見解だと思った。