War Is Over

 if you want it

憶測に次ぐ憶測(追記あり)

ゴキブリじみた一読者が死んだ作家に対するストーカーめいた詮索行為を続ける。

西村賢太は、「群像」2009年6月号に発表した小説「膿汁の流れ」の中で、つい最近まで世田谷区尾山台に本籍地があったと書いている。

彼の生まれは江戸川区だが、11歳の時に両親が離婚し、母親の戸籍に入ったため、母の実家である祖母の家のある世田谷区に本籍地が移ったということであろう。

この「つい最近まで」というのは、この小説が書かれた2009年を基準にしたものか、小説の語り手である北町貫多の語りの時点(秋恵と同居中の2002年頃)を基準にしたものか、ぱっと見に判然としないが、後者と考えるのが自然であろう。とすれば、2002年にはすでに本籍地は世田谷区から移っていたことになる。

「新潮」2013年1月号に発表した「感傷凌轢」の中で、 韓国に行くために戸籍謄本を取りに江戸川区役所に行った、との記述があるから、この時点(戸籍謄本を取ったのは2011年10月に韓国に行く前、「日乗」によれば同年9月8日)での本籍地は江戸川区である。

つまり、2002年の少し前に、西村賢太の本籍地は世田谷区から江戸川区に転籍されているのである。これは、母親が父と再入籍し、本籍を江戸川区に定めたからである(西村が自分で転籍の手続きをした可能性はあるが、考えにくい)。

ここで重要なのは、西村賢太がこのことを知っていたということである。

西村は、「感傷凌轢」の中で、母が十数年前に父と再入籍し、その際に父の方が母の籍に入るかたちをとったことを、韓国に行く前に自分で戸籍を取得して初めて知ったように書いているが、そうだとしたら、2002年(あるいは2009年)の時点で、なぜ西村は、自分の本籍が世田谷区(母親の実家)にはないことを知っていたのか。

理由は単純で、おそらく、29歳のとき暴力事件で逮捕され、略式起訴された際の起訴状に、本籍の記載があったためであろう。そのときに西村は、自分の本籍が世田谷区から江戸川区(生家)に戻っていることに気づいたはずである。

さらにいえば、25歳の時に暴力行為で現行犯逮捕され、略式起訴で10万円の罰金刑を受けたときの起訴状で本籍が世田谷区になっていたのとの違いに、気づいたはずである。

つまり西村は、母と父が再婚したことを、音信不通ではあったが、上記のような事情からすでに知っていたのだ。

実際、「感傷凌轢」には、次のような記述がある。

最後に会った直前には、どのような経緯を踏んでそうなったのかは 詳らかにはせぬものの、とあれ刑期を終えて出所した元亭主と再び同居を始めたこと自体は知っていたので、なれば生活の方は何んとかなっているのだろうとの気休めを過信し、余りその辺のことは深く考えないようにしていた。

以上のような、西村賢太に粘着的な関心を持つ者以外にはどうでもよい、立ち入った詮索を長々と記した理由は、第一に、ぼく自身が西村賢太に粘着的な関心を持っているためであるが、第二に、上記の事実から西村賢太の行動について、ある仮説が生じうる可能性があるからである。

すなわち、西村賢太藤澤清造に狂ったように傾倒し始めるのは、29歳の暴力事件で逮捕され、略式起訴された直後からだが、彼を藤澤追尋に駆り立てた動機の一つには、母が父と再婚した(=父親との関係が戸籍上も復活した)という、彼にとっては最も知りたくなかった事実を、疑いようのない形で知ってしまったことがあったのではないか、という仮説である。

些か想像を逞しくすれば、起訴状に、本籍として江戸川区の生家の住所が記載されているのを見たとき、西村賢太の中で何かがハッキリと〈壊れた〉のではないか。

29歳の暴行事件は、その直前に、田中英光の遺族から出入り禁止を言い渡され、田中英光研究の道が絶たれた(自分で閉ざしてしまった)という大きな挫折が遠因となっていると思われるのだが、その事件の起訴状の記載で知った、父親との<復縁>という事実が、決定的な絶望感と、<父親以外の何か>に取り縋らなければ生きていけない、という思いを生んだのではなかったか。

そのときに彼は、〈西村賢太〉という存在を否定し、〈自分〉を捨て、昭和初期に狂凍死した藤澤清造の〈無念〉を引き受けて生きるという道を選ぶしかないところまで追い詰められたのだ。

個人用メモとしてここに書いておくが、あくまで素人の勝手な妄想であり、とんでもない勘違いがあるかもしれないので、明確な事実誤認や読み違えの指摘があれば訂正します。

 

追記:「本籍が世田谷区から江戸川区に移動したのは2002年の少し前」との前提で書いたが、『東京者がたり』の<下北沢>の章では「二十二,三歳の頃までは、世田谷区の尾山台が本籍地であった」と書いていて、このあたりはっきりしない。仮に22,3歳の頃に本籍が移転したのであれば、初回の略式起訴の時点(25歳頃)で既に知ったはずなので、最後の考察は成り立たない。