War Is Over

 if you want it

風味絶佳

西村賢太の人生は何てスタイリッシュでエレガントにできてるのだろう。

十五歳で家を出て、三十歳で藤澤清造の没後弟子となって、四十五歳で芥川賞を取り、五十五歳で亡くなる。若干の誤差はあるが、まるで計ったように十五年(最後は十年)刻みで人生の大イベントが起こっている。やはり「スタイリスト」という言葉が西村賢太以上にふさわしい作家はいないとの思いを新たにする次第であった。

死んだ今になって彼のことをあれこれ粘着的に書き連ね、ほとんど誰も見ていない匿名ブログであるのをいいことに著作権法違反の画像まで貼り付けて、おまけに好き勝手な妄想の根拠は図書館で借りた本ばかりというのだから、生前の賢太が万が一このブログの存在を知ったとしたら、即異常者視され、法的手段を取られたとしても文句の一つも言い返せないところであったろう。

――だが、その当人は死んでいるのだから、残念ながら手の施しようがない。何をどうされようが、死後にかような対象にされた人物は、文字通りの知らぬが仏なのである。(「蝙蝠か燕か」より)

そういえば以前、西村賢太の「芥川賞以後の女性関係」について、<日乗シリーズ>を分析してみようと熱中し始めたが、「文學界」七月号に掲載された「葛山久子の手記」を読んで、何だか真面目に考察するのが馬鹿馬鹿しくなったと書いた。

そんなことを書いた後でもなお、ダラダラと妄想めいた考察というか雑感を女々しく書き連ねてきたのだから世話はないが、「馬鹿馬鹿しくなった」理由をここで一寸書いておく。

その前に、せっかくの機会なのでもう一つ邪推を記しておきたい。

西村賢太は2011年10月19日に「文芸春秋」のために執筆したエッセイに、芥川賞を受賞したら女にもてるかと思いきや、それ以後だけでもすでに三人にフラれていると書いているが、この中の一人には件の「葛山久子」も含まれていると考える。

なぜなら、同年8月29日に賢太は、NHKの番組「ようこそ先輩」収録の際に作成された小学校生徒による私小説集(新潮文庫の体裁による。賢太はこれを、将来自分の著作を収集する人間には最も入手困難な〈キキメ〉の一冊になるだろうと書いている)を、「是非とも差し上げたい知人がいる」といって無理を言って一冊余分に頼んで入手しており、その「知人」が葛山ではないかと推察されるからである。

賢太は早速その冊子を葛山に手紙とともに郵送し、芥川賞作家たる自分との関係を進展させうるか否かの<小当たり>をしてみたに違いない。しかし、その礼状に書かれた言葉から、「やはり脈なし」として「フラれた」と一人合点(?)し、「芥川賞以降にフラれた女」の一人に葛山を加えた、というのがこちとらの勝手な妄想である。

賢太は、2008年(平成二十年)、「野性時代」に掲載した日記(「松の内抜粋」)の中で、「芥川賞でも取れれば、現在岡惚れしているあのインテリ女性も、ひょっとしたらなびいてくれるかも、と、暫時夢想」していることから、「葛山久子」に対する思いを2005年1月の出会いの時からえんえんと引き摺っていたことが分かる。この事実からも、上記はまるで根拠のない妄想とも思えない。

事程左様に、「葛山久子」は賢太にとって、七年間半同棲していた〈彼女〉とはまた別に、「憧れのマドンナ」的な、ある種の特別な位置を占める存在だったのである。

そんな「葛山久子」の手記は、まさに風味絶佳としか言いようのない文章で、<日乗シリーズ>から必死に絞り出そうとしても出て来ようのない甘酸っぱいエッセンスに満ちたものであった。

今更<日乗>をいくらほじくり返したところで、これ以上の「おいしい」話は到底期待できまい。そんな軽い絶望感みたいなものを味わい、「馬鹿馬鹿しくなった」のだ。

とは言い上、無益な徒労に終わる作業とは観念しつつ、著者の生前の行動を知るよすがは最早これしかないので、結句<日乗>の行間を透かし見るようにしてその記載と睨めっ児する日々を経ててしまっているのだが。