War Is Over

 if you want it

慊い

私が、国会図書館の遠隔複写サービスというのを使って、西村賢太田中英光私研究」に載せた小説室戸岬へ」「野狐忌」のコピーを申し込んだのは、六月十七日のことであった。

はな、かような慣れぬ手段を取ることにしたのは、その日、日中に無理をして時間を作り、国会図書館に出向いたところ、予約がないと入れないといって門前払いを食わされるという不快な出来事を経た為である。

かの公共機関を最後に利用したのは二年ほど前だったので、コロナ禍を理由とした入場制限措置が取られていることを知らず、ズカズカ入って行こうとしたのを足止めを食わせた、昆虫めいた顔付の受付の女たちに、文句の二言三言吐いた挙句、渋面作って見せるまではしたものの、それ以上の抵抗を試みることもできず、大人しく引き下がる次第とはなっていた。

しょうことなしにパソコンを使って苦心惨憺してようよう申し込むことが叶った。申し込んだ後の状況は、オンライン上の<マイページ>のようなところから確認できるということのようであった。

申込日から四,五日間は、「複写箇所特定中」という表示が出て、もしかしたら申し込み方がよくなかったのだろうか、記事名として小説のタイトルだけを記載したのだが、具体的なページ数まで記入しないといけなかったのだろうか等と不安に襲われつつ、根が心配性にできてる私は、内心落ち着かない日々を経てていた。

その後、「作業保留中」という表示に代わりホッとしたが、数日間その表示が続いたときにはまた不安に襲われ、このまま「謝絶」されるのではないかとのイヤな予感が頭を過った。そんな懸念をよそに、三、四日ほど後に、「複写作業中」という表示に変わった。

それが遂に「複写作業完了」という表示となり、待ちかねた「発送済」となった画面を確認したのが、六月二十五日であった。しかしこれは、なんかこう、日の巡りあわせが何んとも悪かった。

郵便局が土曜配達中止というサービス劣化措置を採って以来、到着すべき郵便物を待って苛々させられる事態に陥ることがめっきり多くなってはいるのだが、此度もまた、発送作業完了が土曜日であったために、配達は翌週へ持ち越しとという憂き目を見たかたちであった。

だが、月曜日に配達ということであれば、都内であれば遅くとも翌日の夕方には到着するに違いないと踏んで、本日は終業時刻を待ちかねるようにして意気揚々と帰宅の途に就いた私であったのだ。

ところが、帰って郵便受けを確認しても、目当ての物は届いていない。昼間のうちに届き、家の者が受け取った配達物については、そこらへんに無造作に置かれている場合もあるので、周囲に目をくれるも、無関係のチラシやら家人宛のアマゾン便(家人が最近ハマっている海外ミステリーの古書を“マーケットプレイス”だかで取り寄せたもの)の茶封筒が二つ、玄関脇の靴箱の上にチンと置かれているだけであった。

実は、昨日の夜にも、もしかしたらもう到着しているかもしれない(二十三区内だし)との同じ期待をふとこって帰宅するも裏切りの憂き目にあっているのだが、その際に未着であったのはまだ我慢できた。何も原稿の到着が一日遅れたところで特段焦るべき理由もないのだし、この程度の「焦らしプレイ」はむしろ一興、と受け取る位の心の余裕がなくては西村賢太ファンを名乗る資格はないとも思い直し、本来であれば該書の精読に充てるはずだった時間を、まだ読了していない「誰もいない文学館」の読書に充てることとしたのである。

しかし、今夜に至るも尚未着という事態になると、これはもう、我が国の郵便システムそのものに対する信頼が揺らぎかねないということにもなってくる。また、これは郵便とは異なる話ではあるが、昨日の朝、頼んだ覚えのない「おうちでサイゼ」との表示を掲げた総菜類が大量に玄関前に「置き配」されていたというヘンな出来事もあり(その総菜はこの熱波の中、ごみ袋に入れ直して今も玄関の外に置いたままである)、こんなことが続けば、この酷暑の中での配達員の労務には一定の敬意を払いつつも、配達業務一般についての不信感めいたものが無闇に生じてくるのも止むをえまい。

十日間以上もの待機期間を虚しく経てたものの、遂に今夜にはゆっくりと原稿を味読できるものと思いこんでいただけに、結句何んとも慊い思い。