War Is Over

 if you want it

「室戸岬へ」

この小説は、先にも書いた通り、田中英光室戸岬にて」という小説についての取材旅行記という形を取っている。

当時田中英光私研究」という小冊子を発行していた西村は、精力的に全集未収録の英光作品を発掘、解題し、英光の旧友・関係者から聞き書き採録するなど、全身を打ち込んで田中英光の研究に没頭していた。

西村賢太という作家を語る場合に見逃してはならないのは、このマニアックな「研究者体質」とでもいうべきものであり、ある対象に向かう時の、異常なほどの集中力と過熱ぶりである。

ぼくは彼のこの傾向に、松本清張との資質的な類似性を見る。彼もまた、一つのテーマに粘着的に集中し、取材を重ね、アカデミックな研究者も裸足のおそるべき探究力を見せた。無名時代に書いた「西郷札」や、芥川賞受賞作の「或る「小倉日記」伝」などには、そうした〈足で稼いだ〉知識とマニアックな情熱が詰まっている。西村と松本との比較対照を考察するだけでも一冊の本が書けそうなほど興味深いのだが、ここでは両者の類似性の指摘に留める。

そんな西村だが、実際に英光の小説の舞台となった土地にまで足を運んだのは、この小説を読む限り、どうやら初めてだったようだ。それもかなり無計画で行き当たりばったりに、ろくに下調べもしないまま現地に飛んだような書きぶりである。

要は、この文章は作品研究の成果を発表するために書かれたものではなく、取材する〈ぼく〉を書くための文章であることが冒頭から明示されている。それは当初からその予定だったのか、取材がほとんど空振りに終わってしまったためにそういう文章を書くことになってしまったのかは不明である。後者だとすれば、ほとんど事故のような穴埋め記事ということになるが、結果的にそれが西村賢太私小説の原型ともいうべきものを生み出すことになったのだから、運命とは面白いものだ。

西村は、田中英光私小説に衝撃を受けた当初、自分でも私小説を書こうと試みたことがあると書いている。そのときはうまく書けなかった。その理由を彼はこう振り返る。

 私小説は書く者自らを中心人物として据えている。そして優れた私小説は、そんな赤の他人のどうでもいい人生の断片を一見無造作にもプリミティブにも装いつつ、しかしその実は細かく効果が考え抜かれた、心憎いまでの上手い見せかたで提示している。そして、それがたまらなく面白い。

 結句それらは、思いきり端的に云えば、ひどく自己愛が強いように見せかけて、実際はえらく突き放しているのだ。この相反する二つのものが程良い塩梅で配合されているから、そこに妙味も生じているのだ。

 当然それは、多分に技術的な面に与るところも大であろうが、そこに至る、客観に徹した境地と云うのも不可欠であるに違いない。

 その境地を得ていない今の彼に、面白い私小説なぞ書けるはずがないのだ。

羅針盤は壊れても」(「群像」平成三十年九月号)より

ここでいう「客観に徹した境地」、つまり自分を突き放して、その愚かさを他人のように笑い飛ばせる境地に達しない限り、面白い私小説は書けない、と西村が悟ったのはいつのことなのか。

少なくとも、この「室戸岬へ」を書いた時点で、西村はもうその境地にあったことは明らかだ。それは読めば分かる。〈自分〉を戯画化し、その愚かさを見つめ、一個の他人として扱う手つきは、もはや過去の私小説家たちに引けを取っていないように思える。

この小説は、〈ぼく〉が高知空港に降り立ったその日の夜、町の飲み屋で犯した失態を、翌日にはりまや橋際のデパートの屋上ベンチで回想するところから始まる。われわれ〈北町貫多シリーズ〉の読者にはもはやお馴染みの〈やらかしエピソード〉がそこには描かれている。尤も、後年の貫多の〈やらかしぶり〉に比べれば、まだまだ初心(うぶ)で可愛いものに思える。

感動的なのは、飲み屋で一緒になった若い女の人に、〈ぼく〉が酔った勢いで〈田中英光愛〉を熱く語る場面だ。英光に対する〈ぼく〉の若々しい愛情が迸っていて、ここのセリフは全文書き写したいほどだが、控えておく。のちに、藤澤清造について語るのと同じくらい、もしかするとそれ以上の熱情がここには込められている。

このセリフの中に、「横光利一を長年研究してる人が書いてたこと」だといって「横光利一に取りすがって戦中、戦後を生きた」という言葉が出てくる。

たぶんこれは保昌正夫のことだろう。

つづく