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「室戸岬へ」2

私小説である以上、主人公の今の境遇というものが大切な問題になってくる。

<ぼく>は、高知で最初の夜に入った居酒屋で、偶々一緒になった客から仕事について尋ねられ、東京の神田で古本屋をやっていると答える。小説の初版本を売って食っているが、店はない。小さな雑居ビルの五坪の部屋を借りて、目録販売、要するに通販専門でやっているが、業者の組合の保証金も払わず半ばモグリみたいなものだと。

資金もないし、近いうちに潰れることは確実なので、そろそろ次に食ってゆく手だてを考えている状態だということまで初対面の相手にあけすけ喋っている。

ここまで心を開くのは、話し相手が旅先で偶々出合わせた、若く魅力的な女性だということもあるだろう。逆に言えば、そういう設定にしてこうした著者の率直な心情を吐露しているところに作家としての巧さを感じる。

女性から、のんびり旅行なさっていいご身分ですね、的なことを言われた<ぼく>は、この旅行は、遊びで来てるわけじゃない、と改まって反論する。彼の本職は、ある作家の研究で、これをライフワークと決めている。この地元の新聞の学芸欄にもぼくの作った小冊子が三回ばかり、かなり大きな記事として紹介されたと自慢する。

実際、この年(1995年)2月に出版された「昭和文学研究 三十集」(笠間書院)にも、「研究動向 田中英光 」という数頁の記事を執筆している。同じ集には、前回の記事で名前を挙げた保昌正夫の『横光利一見聞録』という記事も載っている。

じゃあ、それが本職なんですね、と言われ、<ぼく>は、それは職業じゃなく、ぼくにとっては<修養>みたいなものだ、という言い方をする。

この<修養>という言葉が、この小説のひとつのキーワードのようにもなっている。

田中英光の小説を読むことで<ぼく>の人生観は変わった。いつでもその人のこと、その人の言葉が頭にあってその猿真似ばかりしている。いいところだけでなく、わるいところも真似てしまう。バカなエピゴーネンだとしても、その心の支えのおかげで自分がだんだんいい方向に流れて行っているような気がする…と女性相手に滔々と論じたてる。感動的な長台詞であり、この小説の前半のクライマックスである。

このあと、調子に乗って失敗するという、北町貫多ではお約束の展開がこの小説でも起こるのだが、この黄金パターン(真摯さと不様さのコントラスト)が、西村賢太の最初期の段階で早くも完成されたかたちで見られるのは驚きである。西村の小説は最初から最後までこのパターンをひたすら再生産することに終始したといってよいが、その筆致はすでにして未来の名人芸を予感させる。

ここで少し、西村賢太田中英光について考えてみたい。

周知のとおり、西村はこの小説を書いた翌年、田中英光の遺族から出入り禁止を言い渡され、田中研究を断念することになる。

西村が田中から離れたのは、遺族との関係悪化が直接の原因だったにせよ、それだけではない気がしている。端的に言えば、田中英光研究に限界を感じたのではないか。

一つには、在野の研究家としてこのまま研究を続けていても、アカデミズムの世界から認められることはないし、公式なかたちで名を残すことはできないという挫折感。

もう一つは、やはり田中との資質的な違いを感じたのではないか。西村はどこかで、田中は所詮一種のエリートであり、物足りないものを感じたと発言しているようだが、具体的には、田中英光という作家を考える上では、コミュニズムとの関係の考察が不可欠である。

田中は、「共産主義は信じるが、主義を実践する人間を信じられない」と言って党を離れ、共産党を裏切ったことが人生の最大の後悔だと語っていた。戦後、愛人との痴情にまみれ、酒と薬物と溺れた生活は、この挫折感がひとつの大きな原因になっている。

共産主義には、優秀なエリートたる前衛(党)が大衆を導くという、エリート思想が根本にある。そして田中英光は疑いなく<前衛>の一員であった。根が大衆の立場にある西村賢太には、その部分にどうしても違和感を感じざるを得なかったのではないか。

また田中英光を論じるうえでは、政治と文学の問題、戦争や左翼運動の問題というものを抜きにはできないが、西村賢太にはそういう議論ができなかった。というよりも、そうした部分にはまったく興味がなかった。

西村が田中に憧れ、激しく共感したのは、田中が政治運動に挫折した後の自暴自棄で破滅的な生活と、それをありのままに綴った私小説に対してであり、その根っこにあった思想的葛藤にではなかった。だから田中英光という存在をまるごと受け止めるにはどだい無理があったのだと思う。

(これは単なる憶測でしかないが、遺族とのトラブルの原因にもそこらへんのことがあったのではないかという気もしている。)

室戸岬へ」の中で、<ぼく>が田中英光への熱い思いを語る場面は、西村賢太田中英光という個性の蜜月期間の絶頂を示す美しいシーンである。西村が純粋に田中英光に打ち込んでいた時期の表現として、のちの「藤澤清造もの」に匹敵するともいえる。だが、のちの藤澤に対する悲壮な思いとは異なる、ある種の「青春の夢」のような<甘さ>がそこにみられるのも事実である(それはそれで魅力的ではある)。

つづく