INSTANT KARMA

We All Shine On

REQUIEM POUR UN A…

最悪なことが起こった。安倍晋三に好意的な人も批判的な人も、支持する人も反対する人も、双方の側にとって、最も望ましくないかたちで彼の人生が終った。

良くも悪くも(何が”良く”なのかぼくには全く理解できないけれども)日本の「失われた三十年」を象徴する政治家であり〈指導者〉だった。

かつて凶弾に倒れた政治家の事件のように、この事件についてまともな総括や読むに値するドキュメントや小説(「テロルの清算」や「セヴンティーン」のような)はたぶん生まれないだろうな、ということまで含めて、どうしようもない脱力感と更なる絶望感に落ち込まざるを得ない。

繰り返し言うように、もうこの国は手遅れだし、「そのうち取り返しのつかないことになる」という寝言に耳を貸す必要もなく、もう取り返しのつかないことになっている。

昨日から繰り返しテレビ画面に流されている殺人者のあの〈末人〉としか呼びようのない風貌がこの国のゾンビ化した実態を雄弁に物語っている。

だからもうこの国には希望はないのだが、そしてだからこそ昨日のような事件が起こるのだが(そしてこれからも起こり続けるだろうが)、そのことはそこで生きる個人が皆生きるのを放棄すればよいということとイコールではない。

国にはできないことが個人にはできる。それが「マイナスを逆手に取ること」であり「マイナスをプラスに転化させること」である。

まあ、世間の大抵の人間はマイナス思考にできているものです。何もそんなことで自分を責めるがものはないんですが、しかしそれでも何がしかの救いを求めたいというのであれば、私小説を読んでみてはいかがでしょうか。優れた私小説の書き手は、皆このマイナス思考と自意識の強さを抱えています。が、ただ抱えるだけではなく、その厄介さと正面から向き合ってもいます。この向き合い方が自虐的であれ露悪的であれ、作者にとってはどこまでも本気のものであるからこそ、同じ辛さや生き難さを感じている人にある種の共感を呼ぶのでしょう。

西村賢太「本のソムリエ」(読売新聞平成24年7月15日)

亡くなった安倍晋三氏に対しては、こんな死に方ってあるかよ、と全国民と共に心の中で叫びたい。「アベノミクス」も「三本の矢」も、「アベノマスク」も、今の日本にふさわしいあなたの存在が生み出したパンチラインだった。

 

亡き元プライム・ミニスターを想いつつ

 

俺は街の住人
デンマークの王子を演ずるために
ただ選ばれただけ

哀れなオフィーリア

鉄の蝋燭の上を
運命に向けて漂っていく
あのすべての亡霊たちを奴は決して見なかった

戻ってこい、勇敢な戦士よ
飛び込むんだ
別の海峡へ

熱いバターを溶かしたようなアスファルト
樹海はどこにある
瀧の下に
荒々しい嵐
そこで野蛮人たちが落ちた
正午近く
リズムの怪物たち

彼は沈黙と競うための
何物も残さなかった

彼は行ったと思いたい
笑いながら
子供のように
夢のひんやりとした名残りの中へと

天使の男が
その手のひらと指に
蛇を絡みつかせながら
とうとうこの誇り高い魂を呼び寄せた

オフィーリア

絹に濡れた葉たち

火薬の匂い

狂気で硬直した
目撃者

跳躍台、珠海への飛び込み

彼は闘士だった
薔薇色の麝香の香りのするミューズ

貴方は
午後のテレビのための
漂白された太陽

角のあるツノガエル
黄色い斑点のある牛

さあ御覧になって
貴方が連れて行かれる場所を

飽食の天国
野蛮人と兵士たちが亡霊のように佇む

庭師が発見したのは
後ろ足で立つ 浮遊する身体

幸運な死体
貴方を構成する
この紅白の色あせた材料は何だろう

黄金の肌を突き刺し
穴を開けよ

山麓を通って
天国へと運ばれるとき
俺は悪臭を放つだろうか

ノー・チャンスだ

悪役へのレクイエム

あの微笑み

最後の瞬間
あの肥った好色家の流し目が脳裏に蘇り

俺は上向きに跳んだ

柔らかな土に向って