War Is Over

 if you want it

西村賢太年譜(「日乗」以前)

芥川賞を取って以降の生活は「一私小説書きの日乗」で(一部改変もあるとはいえ)作家自身により明らかにされているので、それ以前の年譜を作成してみた。限られた資料に基づくため、もちろん正確でない部分もあろうし、私小説の内容に基づく記載はフィクションの可能性もあるが、基本的には事実とみなして記載した。だから厳密には西村賢太ではなく「北町貫多」の年譜といえるかもしれない。

新事実が判明したら随時更新予定。

 

1932年(昭和7年)

1月29日、午前4時ころ、作家・藤澤清造芝公園六角堂にて凍死。満42歳3か月。

1月30日、身元不明者として桐ケ谷火葬場で荼毘に付される。

2月18日、増上寺別院にて告別式。総代徳田秋声三上於菟吉久保田万太郎、広川松五郎、室生犀星鈴木氏亨

1953年(昭和28年)

7月7日(火)、清造の嫂(兄信治郎の妻)藤澤つるの尽力により、七尾の浄土宗西光寺にて藤澤清造の追悼会が開かれる。書画家・横川巴人ら地元の有志9名のみで行われた。

1966年(昭和41年)

5月11日(水)、藤澤つる、養老院で病没。かぞえ歳73歳。

1967(昭和42年)

7月12日、賢太、東京都江戸川区で生まれる。生家は祖父の代からの運送業(父の代で江東区深川浜園町から江戸川区春江町に移転)。三つ上の姉がいた。母の妹(叔母)の家が福島にあり、二人の従妹がいた。賢太が慕っていた母方の祖母は、祖父亡きあと、水戸に一人暮らししていたが、のち老人ホームに移る。

1977(昭和52年)10

4月2日、慕っていた母方の祖母が老人ホームで死去。

1978(昭和53年)11(小学5年)

9月30日、父が強盗の容疑で緊急逮捕される(当時37歳)。逮捕時に警察官と格闘し、ナイフで警官の胸を刺した。七年の実刑となる。帰宅しようとしたホステスをエレベーターで襲うという一種の性犯罪で、襲ったホステス宅に脅迫電話をかけ、公園に呼び出したところを張り込んでいた警官と格闘になった。「ポルノ雑誌などに刺激されてホステスを狙った」と自供し、同様の余罪が七件あったとも逮捕時に報じられた。

事件直後に離婚した母と船橋市原木中山に住む。その後町田市のコーポに転居。

離婚後、本籍は母方の祖母と同じ世田谷区尾山台に置くこととなった。

1982(昭和57年)15

中学時代は横溝正史などの推理小説を読み耽り、作家になることを考えていた。中学三年の二学期、父親が性犯罪で服役したことを知りショックを受け、不登校になる。

1983(昭和58年)16

中学卒業と同時に、母親から当座の生活費として十万円を受け取り、家を出て一人暮らしを始める。鴬谷で家賃八千円のアパートを借りるが、家賃を4ヶ月滞納したまま1年で強制退去となり、以降椎名町、再び鶯谷下谷方面)、飯田橋横浜市戸部町、豊島区要町、板橋などでトイレ風呂共同の一間のアパートに住み、家賃滞納と強制退去を繰り返す。この間、港湾荷役や酒屋の小僧、警備員、洋食屋の住み込みなどでその日暮らしするが、金に困ると母親の家に行き無心を繰り返していた。消費者金融闇金に手を出すことは決してなかった。

神田神保町の古本屋に通い、朝山蜻一、大河内常平、大坪砂男、宮野村子、鷲尾三郎楠田匡介など戦後の探偵小説の初版本などを集めていた。

1986(昭和61年)19

板橋から伊勢佐木町に移り、造園会社で働く。土屋隆夫『泥の文学碑』で田中英光を知る。伊勢佐木町の古本屋で田中英光全集を買う。

1989年(平成元年)22

飯田橋のアパートに引っ越す。このころ神保町の古書店朝日書林の荒川氏と知り合う。

1990年頃(平成2年)23

初めて藤澤清造の小説を読む。

7月、七尾の藤澤清造の墓が改修されたのと同じ月、伊勢佐木町で泥酔し路上で喧嘩、全裸で駅前の舗道の植込みに倒れているところを警察に保護され、留置場で一夜を明かす。

1991(平成3年)24

警備員のバイトで知り合った「佳穂」と交際。喧嘩の際に前歯を折る暴行を加え、乗り込んできた父親に謝罪文を書かされる。

1992(平成4年)25

バイト先の先輩への暴力行為で現行犯逮捕・12日間勾留され、略式起訴で10万円の罰金刑を受ける。

1993(平成5年)26

この頃、古書業界で朝日書林の主人と組んで古本営業で生活の糧を得る。

11月 「田中英光『生きている怪談』について」(「日本古書通信」)

1994(平成6年)27

自宅とは別に神保町に事務所を構え「野狐書房」と名乗って商いをする。

テナント契約のため朝日書林の荒川氏から借金(トータルで五、六百万)。

1月田中英光私研究』を自費刊行。奥付の住所は新宿区新小川町の江戸川アパート。

4月 同第2輯 

7月 同第3輯

  「田中英光の旧蔵本」(「日本古書通信」)

10月 同第4輯

11月 同第5輯 

1995(平成7年)28

1月 同第6輯

  「自筆物開眼」(「日本古書通信」)

2月 「昭和文学研究 三十集」研究動向 田中英光 / 西村賢太/p115~117

11月 同第7輯(小説「室戸岬へ」収録) 

1996(平成8年)29

3月 田中英光が愛人・山崎敬子と暮らした旧花園町へ転居(新宿一丁目、ルネ御苑プラザ)

11月、同第8輯(小説「野狐忌」収録) 

田中英光の長男・田中英一郎氏(博報堂)に狼藉を働いて出入禁止を宣告される。田中英光だけでなく、小説との一切の関係を断つことを考える。

田中英光の収集資料を、朝日書林荒川氏の仲介で山梨県立文学館(紅野敏郎館長)に八百万円で売却。

1997(平成9年)30

2月ころ、飲食店で酔って他の客に絡んで暴行、逮捕され、10日間勾留で罰金20万円。

藤澤清造の「根津権現裏」を読み返し、激しく共感する。

3月、石川県七尾市の西光寺にある藤澤清造の墓参に赴く。その2か月後から月命日の毎月29日の墓参を始める。

第一回清造忌のときの墓標が西光寺の縁の下にあったのを譲り受ける。

1998年(平成10年)31

東洋大学の大森澄雄教授所蔵の「根津権現裏」初版(三上於菟吉に贈呈されたもの)を荒川氏の口利きで数百万円で買い取る。

春、七尾の海べりにアパートの一室を借り、新宿一丁目との往復生活を始める。

2000(平成12年)33

石川近代文学館で講演。「藤澤清造 その人と文学」

藤澤清造全集(全五巻、別巻二、朝日書林)刊行に向けて内容見本を作製。

表紙含め28ページ、12月1日発行。

新宿三光町の中華レストランで働いていた「秋恵」(当時27歳)と交際開始。

2001(平成13年)34

西光寺に申し入れて「清造忌」(毎年1月29日)を復活させる。

NHK金沢に藤澤清造の愛好家・研究者として取材され出演。

3月「藤澤清造―自滅覚悟の一踊り」(北國新聞社発行「北國文華」第7号)

9月頃、北区滝野川にマンションを借り、秋恵と同棲を始める。

秋恵の両親に清造全集のため三百万円借金。そのうちの百万を引っ越しに使う。

2002(平成14年)35

部屋で保管している墓標を入れるガラスケースを制作(65万円)。

3月、石川県近代文学館館長井口氏が住居を訪れる。

3月3日「清造忌 雪に埋もれず」(「北陸中日新聞」朝刊)

3月4日 北國新聞記事「藤澤清造の素顔に迫る 七尾市立図書館で講演」

3月? 秋恵が実家に帰るが説得して連れ帰る。

4月、石川県近代文学館『藤澤清造展』記念講演。

6月、七尾の西光寺にある藤澤清造の墓の隣に生前墓を建てる。

墓の開眼式の前夜に秋恵を蹴って肋骨を折る。

9月「藤澤清造と故郷」(「石川近代文学館ニュース」第19号)

10月「エッセイ どうで死ぬ身の一踊り」(「季刊文科」第23号)

10月末、秋恵が滝野川のマンションを出て行き、一年余の同棲期間が終わりを告げる。

12月『石川県人名事典 現代編八』(石川出版社刊)の藤澤清造の項を執筆。

12月頃、渋谷の喫茶店で秋恵と最後の別れ(「腐泥の果実」)。

2003(平成15年)36

4月「異端者の悲しみ」(龜鳴屋『稚兒殺し 倉田啓明譎作集』解説)

4月6日「『清造忌』を営んで」(「北陸中日新聞」朝刊)

夏、朝日書林荒川氏の口利きで同人誌「煉瓦」に参加              

7月「墓前生活」(同人誌「煉瓦」)

11月「狷介なる試金石」(「図書新聞」H15.11.1)清造全集の遅れについて

2004(平成16年)37

1月「春は青いバスに乗って」(「煉瓦」)       

7月「けがれなき酒のへど」(「煉瓦」)          

12月「けがれなき酒のへど」(「文學界」同人雑誌優秀作に選出)

「煉瓦」を退会

2005(平成17年)38

1月29日、七尾の西光寺で「清造忌」の取材に来た記者「葛山久子」に岡惚れ

2月「清造忌」(「文学界」3月号)

3月「随伴を拒絶する私小説 車谷長吉」(「群像」4月号)

3月「藤澤清造田山花袋―その接点の一端」(「花袋研究学会々誌」第23号)

4月「一夜」(「群像」5月号)川端康成文学賞候補作  

6月「侃侃諤諤」(「群像」7月号)匿名文芸時評(ギャル風文体)    

8月「どうで死ぬ身の一踊り」(「群像」9月号)芥川賞候補作、三島由紀夫賞候補作

9月  久世光彦が「さらば大遺言書」(「週刊新潮」9月22日号)で賢太作品に言及

10月「『女地獄』を憶う」(「新潮」11月号)

2006(平成18年)39

1月「藤澤清造の名刺」(「群像」1月号)

1月、「どうで~」芥川賞候補となるも落選            

 『どうで死ぬ身の一踊り』講談社

2月「潰走」(「野性時代」、「群像」に原稿を渡すが返却された作品)

3月「リアルな体液『少女@ロボット』宮崎誉子」(「群像」4月号)

6月「悪夢」(「野性時代」)

7月「清造戯曲の初上演」(「季刊文科」第35号)

8月「暗渠の宿」(「新潮」)

11月「清造論のつもりが」(同人誌「煉瓦」第33号)

12月「腋臭風呂」(「野性時代」)

 『暗渠の宿』新潮社野間文芸新人賞

2007(平成19年)40

1月「震えました…」(「小説新潮」1月号)

2月「慊い」(「新潮」) 新聞記者への岡惚れと失恋について言及            

3月「十年一日」(「北國文華」第31号)

4月「師事の原点」(「石川近代文学館ニュース」第28号)

6月「忘我の為に 映画『酔いどれ詩人になるまえに』」(「ブリクル」第14号)

7月「貧窶の沼(「野性時代」)

10月「二十三夜」(「野性時代」)

『二度はゆけぬ町の地図』角川書店

11月「小銭をかぞえる」(「文學界」)二度目の芥川賞候補作

11月『暗渠の宿』で野間文芸新人賞受賞。 

2008(平成20年)41

1月「咬ませ犬の戸惑い」(「群像」1月号)

  「小銭~」二度目の芥川賞落選

4月「松の内 抜粋」(「野性時代」)まだ新聞記者のことを想う

5月「いずれ役立つ物」(「文芸家協会ニュース」)      

6月「焼却炉行き赤ん坊」(「文學界」) 

6月「私のこだわり」(「本の旅人」)        

7月「碧空を思う」(「野性時代」)※単行本収録の際「人もいない春」に改題

8月「小貧民の愚痴」(「野性時代」)    

9月 『小銭をかぞえる』文藝春秋

11月「廃疾かかえて」(「群像」)川端康成賞候補作

12月「乞食の糧途」(「野性時代」)

2009(平成21年)42

1月 『どうで死ぬ身の一踊り』講談社文庫

2月「アンケートわたしの大好きな曲」(「野性時代」)鶴田浩二「傷だらけの人生」

4月「瘡瘢旅行」(「群像」) 

4月「積年の思い溢るる」(「季刊文科」第44号)文庫化のよろこび             

6月「膿汁の流れ」(「群像」) 

8月 『瘡瘢旅行』講談社 

8月「骨がらみ」(「群像」)

9月「一私小説書きの弁」(「本」)

12月「凶暴な自虐を支える狂い酒」(「en-taxi」第28号)葛西善蔵など私小説家論

2010(平成22年)43

1月 『随筆集 一私小説書きの弁』講談社

2月「赤い脳漿」(「野性時代」)            

   『暗渠の宿』新潮文庫

4月「昼寝る」(「野性時代」)

5月「アンケート2010年私のマル秘新作」(「本の雑誌」)しみじみと金が欲しい

6月 『人もいない春』角川書店

7月「肩先に花の香りを残す人」(「東と西2」アンソロジー

8月「陰雲晴れぬ」(「新潮」)

8月「私小説五人男―私のオールタイム・ベスト・テン」(「本の雑誌」)

10月 『二度はゆけぬ町の地図』角川文庫

10月「文學界」10月号に藤野可織の「人もいない春」書評が掲載される

11月「落ちぶれて袖に涙の降りかかる」(「新潮」)川端賞落選のこと

12月「苦役列車」(「新潮」)

2011(平成23年)44

1月 苦役列車』新潮社

苦役列車」で芥川賞受賞。

「秋恵」の母親から「おめでとう」との電話をもらう。

受賞時に20万円だった通帳の残高が半年後に5500万円を超える。