War Is Over

 if you want it

西村賢太追悼文集を読んで

西村賢太追悼文集』(COTOGOTOBOOKS)を読了。

賢太とは面識のない愛読者から付き合いのあった編集者、同業者まで、送られたもの全部載せました(既出の追悼文の転載もあり)という感じなのでゴッタ煮感があるが、それが編集の狙いで、「色んな人が好き好きに声を持ち寄って、いつまでも終わらない賑やかなお通夜のような場所をつくりたかった」と木村綾子氏のあとがきにある。

興味深いのは、<日乗シリーズ>に登場する人々、とりわけ賢太と仕事の打ち合わせやプライベートで会っていた編集者たちの追悼文だ。

編集者では、崔鎬吉氏(徳間書店)、柴﨑淑郎氏(講談社)、清水陽介氏(文藝春秋)、田中光子氏(文藝春秋)、田畑茂樹氏(新潮社)、丹羽健介氏(文藝春秋)、浜本茂氏(本の雑誌社)、山田剛史氏(KADOKAWA)らが追悼文を寄せている。

このうち、崔氏、柴﨑氏、、田中光子氏、山田氏は「本の雑誌」6月号の追悼特集「結句、西村賢太」での担当編集者座談会のメンバーでもあり、個人的には<日乗>で賢太にしょっちゅう「信濃路」に呼びつけられ、「新潮」編集長矢野氏やら他の人たちの悪口を聞かされ、鬱憤のはけ口にされて一番苦労してそうなイメージのある田畑茂樹氏の寄稿に興味があった。

田畑氏は本の雑誌にも追悼文を寄せていて、何となくよそよそしい感じの文章だったが、こちらには、やはり遠慮がちな筆致ながら、もう少し詳しく突っ込んだ記述が見られる。やはり賢太の私小説のようにはアケスケに語ることのできないものが多々あるものと見受けられた。関係者たちが<真実の西村賢太像>を明らかにするには、今暫くの年月を経てる必要があるのだろうな、と思った。


ちょっとユニークなのが、北國新聞社文化部長・竹本豊氏の文章で、亡くなる直前の1月28日に突然西村が新聞社を訪ね、取材を依頼し自筆原稿を置いていったというエピソードが書かれている。そのすぐ後の2月3日の午後3時過ぎ、携帯に連絡して、毎月一回掲載している短編「土曜小説」の執筆をお願いしたら快諾されたともいう。結句西村の急逝により「土曜小説」は町田康氏が急なお願いにもかかわらず快く引き受けて下さるかたちとなった。西村の絶筆は2月1日の石原慎太郎追悼文で、これは読売新聞の文化部次長・待田晋哉氏が西村とのファックスのやり取りについて没後にこう記事にしている。

最後のやり取りは、西村さんが尊敬する石原慎太郎さんの追悼文をお願いした1日だ。午後3時、1200字の原稿を5時半締め切りで頼んだ。「15分待ってくれ」。5時半に携帯電話があった後、1分と遅れず、ファクスで届いた。「動揺もあって汚くなって申し訳ありません」。原稿の表紙に手書きされていた。

西村はこの追悼文の直しを入れながら30分意識を失っていたと荒川氏(朝日書林店主)に電話している。またこの追悼文はよく書けたから読んでほしいと知り合いの編集者に電話していたようだ。「文學界」の田中光子氏は、この追悼文を読んで感銘を受けましたと伝えようかと思ったが秋に西村からの叱責メールを受けて関係が気まずくなっていたのでメールもファックスもしなかったという。

関係が気まずくなったと言えば、生前に西村から「唯一の公認弟子」と認められた「オールディックフォギー」の伊藤雄和は、2018年3月13日の夜に仲違いがあって約二年ほどの交友関係が終わったと書いているが、<師>への変らぬ想いを綴った追悼文をここにも寄せている。
伊藤については、<日乗>の2018年2月6日にこんな記載がある。「伊藤雄和氏と対談。『音楽ナタリー』配信予定のもの。帰途、一人になって拙作『芝公園六角堂跡』を思う。少し、あの時期の繰り返しのようになっている。なれば伊藤氏と飲むのも、今夜が最後となるか。」
直接の仲違いの原因はつまらぬことで、西村が一方的に悪かったというが、この時点で西村は伊藤との関係を断つことを決意していた。もちろん伊藤が悪いのではない。


ついでに書くと、同年2月15日の<日乗>には、「風花」で佐伯一麦と四、五年ぶりに邂逅し、長い時間「話し込まさせて頂く」との記載がある。西村が私小説家の先輩として佐伯を尊敬していたことは2011年12月16日の<日乗>にも記載されているとおりである。この2月15日の夜、二人でどんな話をしたのか、佐伯一麦にいつか語ってほしい。


同業の小説家による追悼文の中では、亡くなる一か月前に「週刊読書人」で対談した新庄耕の文章がよかった。西村は新庄についてこんな風に書いている。「新庄氏のナイスなお人柄と、その隠しても抑えきれない反社的な闇の香りに、深く酔いしれたひととき。」同じ匂いのする作家として相通じるものを感じていたのだろう。


読みながら泣いたのは、信濃八太郎氏が父親の書いた四つ折りの紙切れを西村に見せたときのエピソードと、藤澤外吉氏の最後の三行。


ぼくはこの追悼文集には文章を寄せることができなかったけれど(募集してるのを知らなかったので)、自分なりにこのブログにさまざまな思いを書き散らしてきた。
改めて、ぼくなりの追悼の言葉を捧げます。

 

 

賢太、愛してるよ。

 

ありがとう。