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佐藤泰史の評伝を読んで、彼が熱心にアプローチしたという藤堂志津子の小説を読みたくなり、『別ればなし』と『昔の恋人』を借りて読んだ。

『別ればなし』は初出が「イン・ポケット」1998年8月号~10月号、講談社文庫の発売日が2002年6月14日。『昔の恋人』は単行本が1999年12月発売、集英社文庫の発売日が2002年10月28日。作者は1949年生まれだから、49~50歳頃の作品。

文庫本解説(関口苑生)によれば、『昔の恋人』は四編の短編からなるが、いずれも作者自身の体験がベースになっているという。つまり、ここに登場する「昔の恋人」にはそれぞれモデルがいる。作者は短大を卒業後、二十歳で一度結婚し、二十六歳で離婚している。それから三十代の初めまで詩を書いて北海道の文芸誌に掲載されたりしていた。既に十九歳で詩集『砂の憧憬』を刊行している(熊谷政江名義)。地元の文芸誌に掲載された時期に、佐藤泰志がしきりに手紙を送ってくるようになった。佐藤や地元の文芸関係者たちを見て、小説家になるのはこんな嫌な人間になることなのかと思い、専業作家になるのを止めて広告代理店に就職する。

1979年、「熟れてゆく夏」が第11回新潮新人賞候補、1983年、「椅子の上の猫」で月刊クォリティ主催の第7回北海道文学賞を受賞(熊谷名義)。1987年、札幌市の広告代理店に在籍中に「マドンナのごとく」で第21回北海道新聞文学賞を受賞(熊谷名義)。1988年、『マドンナのごとく』が第99回直木三十五賞候補に。同年、「熟れてゆく夏」で第100回直木三十五賞を受賞と、あれよあれよという間に人気作家の仲間入りを果たした。苦しんで苦しみ抜いた挙句に作家として名を成せず行き詰ってしまった佐藤泰志とは余りにも対照的な人生である。

藤堂は、評伝の作者・中澤雄大に対して、佐藤についてはずっと言うに言えない気持ちのしこりがあって、評伝を書いてもらえれば胸のつかえが取れると言って、率直にインタビューに応じている。そのインタビューのさばさばした、洞察力に富んだ発言の数々を読んで興味を持ち、藤堂の書いた、普段ならほとんど興味を抱かないジャンルの小説を手に取る気になった。

恋愛小説で、細やかな女性の心理を繊細に描くというのが彼女への定まった評価らしい。男の書く恋愛小説とは違う、女性はこんなことを考えているのか、という発見があるから面白い。例えば次のような描写を読むと、へえ、と思う。

十年間の空白を感じさせない美村の打ち解けた口調を耳にしたとたん、三十六歳の奈美子は、セックスすることだけに頭がいっぱいになった。美村と再会する目的はそれだけで、愛だの恋だの不倫だのといった定義づけは、むしろ、この際、うっとうしい。
二十代には、ついぞ経験したことのない強い性欲が、当時の奈美子を困らせていた。夫という定期的なセックスの相手を失って、それがはじめて自覚されてもきた。…
食事をしたり、バーで軽く飲んだりするようなつきあいは、奈美子の望むところではなく、一刻も早く美村とセックスし、セックスのあとは、一刻でも早く帰宅したがった。
そのことで美村が不満をもらしたりもしたけれど、奈美子は、いつも聞き流した。

しかし女性の性欲を率直に書くというだけなら他にもいろんな作家が、もっとすごいのを書いているだろうから、これだけではどうということはない。

この世には、異性にもてる人とそうでない人がいて、金持ちの生活を貧乏人は想像しかできないように、もてない人間にはもてる人間の生活は想像することしかできず、実際のところは分からない。両者は違う世界を生きている。藤堂の小説は、もてる人間の立場で書かれている。主人公は人並み以上の容貌の持ち主で、男に不自由しないタイプである。佐藤泰志にしつこくアプローチされた藤堂志津子自身も、そういうタイプなのだろう。

女性の読者は、こういう小説をどう感じるのだろう。ある程度もてる自覚のある女性が共感しながら読むのだろうか。複数の男に言い寄られる経験などしたことのない女性は、こういう小説をそもそも読む気にはなるのだろうか。それとも主人公に同一化して読むのだろうか。一体どういう人がこういう小説を読むのか、具体的にイメージができない。

藤堂志津子の書く女性は、彼女自身の分身で、男性は過去の恋人の分身であり、その小説世界は、(極端な例を挙げれば)西村賢太の小説世界から見れば源氏物語の如き殿上人たちのお遊戯のようなものだ。それでも当人たちにしてれみればそれなりに切実なのだろう。『別ればなし』のダブル不倫(一方は未婚だが)に巻き込まれる四人の男女もそれなりに切実なのだろう。だが所詮自分には関係のない世界の出来事なので何の感情移入もできない。

『昔の恋人』も、一読したら忘却してしまうような何てことのない物語ばかりである。小谷野敦がなぜ高く評価するのか分からない。たぶん小谷野好みの美人で、対談にも応じてくれたからではないか。他の女流作家のレベルから見れば相対的には優れているのかもしれないが、他の女流作家をあまり読まないのでよくわからない。でも過去にぼくが読んだ数少ない女性作家である津島祐子『光の領分』『寵児』に匹敵する小説とはとても思えなかった。