『川端康成の運命のひと 伊藤初代:「非常」事件の真相』(森本穫、ミネルヴァ書房)を読んで、初代とのことについて書かれたアンソロジーがあれば読みたい、と思っていたら、丁度お誂え向きのがあった。
ネットでこの文庫のレビューなど見ると、「似たようなストーリーが多い」「内容が重複していて退屈した」などの意見があるが、確かに、冒頭にいきなり「南方の火」という同じタイトルの小説が四つ並んで、解説を読んでもその事情が書かれておらず、初読の読者は戸惑うだろう。
だが、『川端康成の運命のひと 伊藤初代:「非常」事件の真相』(森本穫、ミネルヴァ書房)を読み、その事情を分かったうえで読めば、これは非常にありがたい配置であると分かる。その意味で、これは川端マニア(研究者)向きの構成であり、「初恋小説集」というタイトルから期待されるイメージで読むと当てが外れるに違いない。
それゆえか、人気作家である川端の文庫の割には、未だに版を重ねてもいない(2016年4月初版)。企画としては失敗ということになるのかもしれないが、ぼく個人にとっては、最高のアンソロジーであった。出版に感謝したい。
川端の「初代もの(ちよもの)」は、自分の恋愛体験をそのままに描いた私小説である。田中英光の「敬子もの」や西村賢太の「秋恵もの」と同じカテゴリーの私小説であり、想像を駆使して人工的な作品世界を生み出した川端康成のその他の小説群とは趣が異なる貴重な作品群である(その意味では「伊豆の踊子」も私小説といえる)。ぼくのような読者にとっては、それだから面白い。
私小説だから、同じような場面が何度も出てくる。読者によってはそれが退屈だということになるのだろうが、私小説の醍醐味とは、同じような場面を繰り返し描き、その中で同じではない微妙な違いを楽しむところにあるのだから、この「初恋小説集」はその点からも味わい深いのである。
とはいえ、この「初恋小説集」に収録された作品のうち、本当の意味での私小説と呼べる作品は、その半分にも満たない。
それは、「新晴」、「南方の火」(四篇)、「篝火」、「非常」である。
「霰」(原題は「暴力団の一夜」)、「彼女の盛装」は、いわば後日談である。
「モデル小説」は嫌いだと公言していた川端の貴重な私小説として価値のある一冊。
但し、Ⅱについては作品のチョイスに納得できないところがある。
「千代もの」のアンソロジーであれば、「後姿」(「父母への手紙」第二信)、「姉の和解」は外せないところであろうし、「文学的自叙伝」の初代(作品中では房子)の訪問の部分の箇所も入れてほしかった。さらに、「独影自命」(川端全集あとがき)や、「伊豆の帰り」、初代に着想を得た創作としては最重要と思われる「母の初恋」など、収録すべき作品はあったと思う。
逆に「ちよ」「水郷」「時代の祝福」が収録されていることは評価できる。