War Is Over

 if you want it

The Honor of a Value Disruptor

石原氏の政治家としての面には毫も興味を持てなかった。しかし六十を過ぎても七十を過ぎても、氏の作や政治発言に、かの『価値紊乱者の光栄』中の主張が一貫している点に、私としては小説家としての氏への敬意も変ずることはなかった。
(「胸中の人、石原慎太郎氏を悼む」西村賢太 「読売新聞」2022年2月2日)

我々が望まなくてはならぬものは、まず個々の生活における人間の実在への復活であり、それ以外の何ものでもない。そのためには生活の内において、無数の既成価値をひとつひとつ置き換えていかなくてはならない。置き換え得ぬものがあるにしても、我々はそれを一度は実感という触手で触れて持ち上げてみなくてはならない。この操作はあくまで個々人の内で行われ、恐ろしく孤独な仕事でもあるはずだ。詮じつめれば、世の常識の再検討に違いない。社会機構から遊離したまま、非合理な規制力をもつ文明秩序に対する必然的な批判である。

(「価値紊乱者の光栄」石原慎太郎、1958年)

西村賢太石原慎太郎を作家として尊敬していたのは芥川賞の選考会で西村を推してくれたからだ、という説は、西村賢太は作家として成功するために藤澤清造を利用したのだ、という説と同じ程度に不当なものといいうるだろう。

なぜなら、上に引用した石原への追悼文でも西村自身が明らかにしているとおり、西村はもともと石原の愛読者であり、(西村にしては珍しく)石原の書いた「価値紊乱者の光栄」のような思想的(?)な文章にも激しく共感していたからである。

西村は「政治家としての石原にはまったく興味がなかった」と述べているが、敢えて西村賢太の政治的・思想的傾向を分析するなら、〈生活保守〉というのが一番ぴったりくるのであり、それは石原自身の政治的スタンスとも左程離れてはいない。

石原の右翼的傾向と西村の〈ローンウルフ〉の姿勢は矛盾するものではなく、むしろ親和性が高い。石原の女性蔑視、排外主義、暴力的傾向、差別主義的姿勢は、西村の小説作品の底にも流れている傾向でもある。

さらに言えば、石原と西村は、出自の点でも共通性がある。富裕層の御曹司的立場に生まれた石原に対し、西村は祖父の代からの会社経営者の一人息子として育てられた。これは北町貫多の「苦役列車」的イメージからは想像し難いかもしれないが、11歳の時に父親が強盗罪で逮捕され、家庭崩壊するまでは、西村の家は「中流階級」ですらなく、かなり裕福な階層に属していたことは疑いない事実である。

これは私が国会図書館個人向けデジタル化資料送信サービスを大いに駆使して判明したことであるが、実は西村の祖父は運送会社を設立する前に、都内のある鉄鋼会社の取締役兼大株主に名を連ねており、そこで得た利益を元手にして運送会社を立ち上げたと思われるのである。少し前の言い方で言えば、長者番付に名前が載るくらいの資産家であったろう。

そんな豊かな家で育った賢太の父親は、創業者社長の典型的なドラ息子よろしく、仕事に精を出す代わりに、ジャガーなどの外車を次々に買い替えたり、カントリー・ミュージックのレコードを大量に購入して音楽にのめり込むなどし、挙句には港区や銀座のクラブのホステスの後を付け回して脅迫するなどという悪行に勤しむまでになってしまった。それを見た賢太は父親のことごとく反対の行動を取ろうと努め、車は運転せず、洋楽は聞かず、ホステスのいるクラブやキャバクラを毛嫌いし、父親の飲まなかった酒を無理して飲んだ。

父親の逮捕後に即離婚を決めた西村の母が、自立してアパレル会社(子供服)の店長になるなど、苦労はしてもそれなりの生活を送ることができたのも、元々の家の財産があったからではないか。西村の姉は(もちろん父の逮捕前に)海外留学までしている。

話を戻せば、少年期に思わぬアクシデントで人生が狂うことになったとはいえ、西村はもともと「ボンボン育ち」だったのであり、そんな「育ちの良さ」は石原慎太郎のボンボン気質と共鳴しうるものであり、西村が石原の上流めいた文章に引き付けられ憧れを抱いたのも自然なことといえるのだ。

石原と西村に共通するのはそれだけではない。両者は共に、自らが〈価値紊乱者〉であると自負し、それを光栄に感じるような肥大化したエゴを抱えた人間であった。その背後にあるのは、彼らが「エリート」であるという自覚と、彼らの見下すべき「庶民」たちへの徹底した侮蔑の精神である。平たく言えば、「俺はお前らのような賤民とは違うんだ」という傲慢な意識であり、そこから生じる「狂王じみた我儘ぶり」である。

石原が芥川賞受賞式で対面した西村に「お互い、インテリヤクザ同志だな」と声をかけたのは有名なエピソードである。その真意を生前に尋ねること能わなかったと西村は追悼文に書いているが、その含意は明らかなように思える。

石原は「俺たちは共に誇り高き不良貴族だな」と、西村と自分の間に流れる共通の血筋を認めたのである。

さて、ここで問いたい。果たして石原の〈価値紊乱の企て〉は成功したのだろうかと。

私に言えるのは、個々の生活の内において、無数の既成価値をひとつひとつ置き換え、世の常識を再検討するという、作家としての〈価値紊乱者の生〉を全うしたのは、八十を超えて世を去った石原慎太郎ではなく、五十代半ばで屍れた西村賢太であったということだ。

西村はその〈恐ろしく孤独な仕事〉を終始一貫しておこなった。彼にとって唯一の生きるよすがであった小説にすがりつきながら。西村賢太に栄光あれ。