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山田順三

漫才コンビ髭男爵〉の山田ルイ53世こと山田順三の書いた「ヒキコモリ漂流記」という本を読んだ。「完全版」と謳われた文庫の方ではなく、2015年に出た単行本の方をkindleで買って読んだ。

一読して唸った。これは、立派な私小説ではないか。

小学生の頃は学校でも目立つリーダー格で、突如中学受験を志し地元の名門私立中に見事合格。ところが中二の夏にある事件をきっかけに「引きこもり」となり、その状態が六年続く。「勉強のし過ぎで頭がおかしくなった子」として地元で嘲笑の対象となり、親にも見放され、アパートで独り暮らしする。大検を受けて愛媛大学に合格するも、ドロップアウトしてお笑い芸人を目指し上京。上京後は、中卒後に自立した西村賢太を超えるといってもいい過酷な貧乏生活を送る。

この壮絶ともいえる人生行路を綴る、お笑いテイストをまぶした文体の底に流れる硬質な私小説的要素は見逃せない。

たとえば、こんな箇所だ。

引きこもり生活を送るうち、親から家を出ろと言われ近くでアパートを借りて独り暮らししていたときの話。

 ある日、父がアパートにやって来た。見ると、父の後ろに女性が立っている。

「えっ? 誰?」

  聞くと、何やらおどおどしながら、これこれこうで、会社の部下の○○さんだ、みたいな説明をしてくる。

 後ろの女性も、父の説明にうなずきながら、一通りそれが終わると、

「順三君? はじめまして○○です…… これよかったら食べて!」

  そう言って差し出した、「容器」に見覚えがあった。

  開けると、案の定、肉じゃがが入っていた。

「…… マジ か?」

  一応念のために、指でとって少し食べてみる。

「マジか?」二回目。

  父が差し入れで持って来ていた、何度かこのアパートで食べたことのある味だった。

 やりやがった。

 いや、別に母に対する義理立てなどではない。そんな正義感などハナから持ち合わせていない。

 ただただ、まんまとつかまされた感じと言うか、舐められてる感じというか、父が今この瞬間、僕の目の前で女に対してちょっと照れてる感じというか、関西で言うところのちょっと「 いきってる(いきがってる)」感じというか、それらのことが総合的に「ムカついた」ので、それと分かるやいなや、ダダーッと走って便所まで行き、ドアを開け、

「こんなもん食えるかー!」と、容器の中身を和式の便所に叩きつけ、足でレバーをグイッと踏みつけ、水に流してやったのだ。

アパートを訪れた父がもってきて食べさせてくれる肉じゃがを「おふくろの味」だと思っていたのは、「愛人の味」だった、というオチがつくという場面だが、そこはかとない西村賢太テイストが漂っているのを感じないだろうか。

もちろん、西村賢太の小説を日本刀をぶらさげた野武士とするなら、山田の文章は趣味のボクササイズに励むサラリーマンのレベルではある。だが、山田の文体は西村賢太を意識している気がする。もし意識していないとすれば、思考様式が似ているのだろう、というくらいの共通性がある。

単純に人生行路のみを比較すれば、西村よりも山田の方がはるかに困難な道を歩んでいる。山田は無一文で上京して一週間野宿している。四畳半・月1万5千円のアパートで暮らし、その後にさらに月七千円の三畳のアパートに引っ越して十年以上暮らしている。消費者金融で利子が二桁になり、債務整理もやっている。肉体労働のバイトで腰を圧迫骨折している。

別に貧乏自慢をしたってはじまらないが、私小説ネタの強度では西村賢太を上回っている山田である。「ヒキコモリ漂流記」(2015年、マガジンハウス)は傑作である。