INSTANT KARMA

We All Shine On

頼れるAceはUnderthrow

エムカク氏の明石家さんまヒストリー」を読んでいて、子供時代を大阪で過ごした自分がリアルタイムで見ていたさんまのことを思い出していた。

記憶に残っているのは、なんば花月かどこかの演芸中継番組で漫談をやっているのをテレビで見たのがたぶん一番古い。

例の「京子ちゃんネタ」をやっていた。「京子ちゃん、今日パンツはいてないの?」「何でわかったの?」「だってスカートはいてないもん」というやつ。

全然ウケてなかったという記憶がある。。僕も面白いと思わなかった。

そのあと、やすきよの番組で最後に水槽の上に座って、ゲストが紐を引っ張って落ちたら当たり、というのを毎週やっているのを見た。エムカク氏の本によると、この頃は睡眠時間もほとんどない多忙なスケジュールだったということで、そんな状態であれだけ体を張った番組(たぶん生放送)を毎週やっていたのは凄いことだと思う。

あとは「誰がカバやねんロックンロールショー」という紳助が司会をしていた番組にゲストで出ていたのを見た記憶がある。この番組を見てる奴はイケてる奴、という暗黙の了解のようなものがあった気がする。今見るとロックンロール(?)と呼べるかどうか疑問なのだが、ロックといえば何となく不良、という矢沢永吉とキャロルの影響によって形成されたイメージを上手く取り込んで若者へアピールしていた。一言で言って、カッコよかった。当時の大阪の若者は皆さんまに憧れていたと思う。

当時大阪でさんまといえば、江川卓とトレードされて阪神タイガースに移籍した小林繁投手の形態模写(頼れるエースはアンダースロー)だろう。コマーシャルにもなったし、外見が小林とウリ二つだったので物真似としては真に迫っていた。

僕の小さい頃の明石家さんまのイメージは、強烈に笑わせてくれる芸人というイメージではなく、場を明るくする華のあるスター(笑いのできるアイドル)というものだった。お笑いという意味では坂田利夫とか「ま~あ~ごきげんさん」の谷茂とか(谷茂は友達の父親が友人で借金の保証人になってえらい目にあったという印象が深く心に刻まれている)の方が笑えたし、のりお・よしお紳助竜介の漫才の方がパンチ力があった。

漫才ブームが来ると、さんまの影が一気に薄くなった。このまま消えてしまうのではないかと思えた位だった。この時がさんまの順調な芸人生活の最大の危機だった気がする。

それが再び人気復活したのは、やはり「オレたちひょうきん族」のブラックデビルがあったからだろう。これも最初は高田純次がやっていて、怪我か何かで出れなくなったときのピンチヒッターがきっかけというのだから、さんまという芸人はつくづく強運である。