フランス映画の巨匠、ゴダール監督が亡くなった。スイスでは合法化されている自殺ほう助の方法を取ったという。91歳で、病魔に苦しんでいたというから、やむを得ない決断だったのかもしれない。ゴダールの映画は「勝手にしやがれ」しか見たことがないので何も知らないが、エリザベス女王の死去に続き、二十世紀の終焉を感じさせられる出来事であった。
岩波文庫の「川端康成随筆集」を読む。「末期の眼」という有名なエッセイの冒頭に、伊香保温泉を訪れた老いた竹久夢二を評するくだりがあって、相変わらずの容赦無さに思わず笑ってしまう。
もともと夢二氏は頽廃の画家であるとはいえ、その頽廃が心身の老いを早めた姿は、見る眼をいたましめる。頽廃は神に通じる逆道のようであるけれども、実はむしろ早道である。もし私が頽廃早老の大芸術家を、目のあたり見たとすれば、もっとひたむきにつらかったであろう。こんなのは小説家に少なく、日本の作家には殆どあるまい。夢二氏の場合はずっと甘く、夢二氏の歩いてきた絵の道が本筋でなかったことを、今夢二氏は身をもって語っているといった風の、まわりくどい印象であった。
それから、『新潮』1971年12月号からに連載していた「志賀直哉」が絶筆となり、その最後の原稿(1972年3月号)の最終部分には次のように書かれている。
それはとにかく、この鼎談にも少し出ている、志賀さんの太宰治評、これが問題である。やがては、太宰氏の「如是我聞」、志賀さんの「太宰治の死」を生むに至る。
例の、太宰が志賀に食って掛かる原因となった座談を長々と引用した後に書かれた、この言葉の続きが読みたかった気がする。
この件についてはブログの過去記事にも書いた。
川端は両者のBEEFについて何と評したのだろうか。興味は尽きない。
「随筆集」の中でも川端が芥川の死に言及した部分は多くあるが、芥川にせよ太宰にせよ、傍目にはまだまだ創作活動の盛りにあると思われた時期に突如自らの生涯を終わらせた作家であった。これらに比して川端の死は、もはや新たな創作の不可能を悟っての死という意味で、彼らよりはむしろゴダールの死に近いと思わせるものがある。
ゴダール亡くなったぁ…! 『ラブリー』の歌詞の「息を切らす」は、彼の『勝手にしやがれ』の原題“A bout de souffle”、英題”breathless”を意識したって言ったこと、あるはず。めちゃくちゃ、ありがとう。
— Ozawa Kenji 小沢健二 (@iamOzawaKenji) 2022年9月13日