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一日(いちじつ)

残暑と秋の気配が混ざり合ったような奇妙な空気感の一日。読書の秋というにはまだ早い気配もあるが、アントニオ猪木逝去の余韻冷め遣らぬ中、吉田豪『超人間コク宝』を一気読み。

2019年2月収録の香山リカインタビューで、こんなやりとりがあった。

ーー香山さんが人生は無意味だと思ったことについて、その後、変化はあったんですか?

香山:変化はそんなにないな。いろいろ考えちゃって。でも、私はちょっと卑怯っていうか、医者なんで、最後の最後は医者だっていうアイデンティティにすがれば人の役に立ってるって思えるかもっていうのがあって。

ーー人を救ったという思いで死んでいける。

香山:ただ、精神科医ってホントに救ったのかよくわかんないことが多いから、もっと人を救った感がほしくて、ここ二、三週間、週に一回だけある病院で内科の勉強をしてるんですよ。それはいよいよ自分が窮地に落ち込んだら、どっかの離島の診療所の先生になれば、さぞかし充実感があるだろうなって。

ーーダハハハハ!最後にいいことやって死んでいくために、そんなプランが。

で、香山は実際、今年(2022年)4月から本名で、北海道・むかわ町穂別の診療所で僻地医療に取り組んでいるのをニュースで知った。

診療所で副所長職の公募をかけていたのを、去年6月に応募したのだという。

2017年から、母校・東京医大病院で総合診療の修得のため研修を受け始めていたが、娘が立教大の教授であることに誇りを持っていた母を思って、医療貢献への転身時期を定年後と想定していた(父は2010年に亡くなっていた)。

2019年7月に母を亡くし、2020年に60歳になり、「医療が行き届かない場所で、医師としてのキャリアやスキルを生かす」という自分の使命と真正面から向き合うことを決めた。

副所長に応募した穂別診療所は、町唯一の医療機関

北に夕張山地、東に日高山脈を望むこの、むかわ町穂別は、人口は最盛期の約4分の1に減り、65歳以上人口の割合を示す高齢化率は約44%(国全体は29%)の過疎地。

4月から始まった「副所長」の勤務は、月~金が診療所での診察。

香山さんが説明する。

「9時から所長と私で外来を診察し、午後は一人が外来対応、一人が介護施設や学校などの健診にまわります。狭い町の特徴を逆に生かし、地域包括ケアの一環としての医療を目指しているんです」

週2度、朝7時半から地域医療の医師約300人のオンライン会議に出席。当直は週2回、金曜の夕刻には業務終了とともに、東京へ。

東京では精神科の診察に雑務もこなして日曜夕刻に北海道に戻るという慌ただしいサイクルだ。

「東京との往復生活と聞いただけで、高齢の患者さんは『大変なところ、ありがとうございます』と言ってくれます。私は総合診療のキャリアはまだまだで、薬によっては調べ調べ、処方箋を書くんですが、なんにも文句を言わず、おだやかに待ってくださるんです。

『地域医療に貢献するために』と穂別に来たのに、スタッフや住民の方に助けられてばかりです」

目尻に皺を寄せ、はにかむように香山さんは言った。

「いないよりはまし。そんな感覚もいいかな」。

週の大半を穂別で、本名「中塚尚子」で過ごし、週末は東京で精神科医としての診療や、「香山リカ」の業務をこなす。

「いつ急患が入るかわからない」穂別では、お酒は飲めないという。

だから、搭乗前の新千歳空港のラウンジでは、サッポロビールで、自分にささやかな「カンパイ!」。

60歳を迎えての決意。

香山さんの挑戦は周りの人々に支えられ、せわしなくも、ゆるりと進んでいる。

(取材・文:鈴木利宗)

10月から殆どの食料品やら生活必需品やらライフラインの料金が値上げされ庶民の生活は一層苦しくなっていく。大恐慌といってよい事態は静かにゆっくりと迫りつつある。その実感が怒りの沸点に達し暴動や革命に至る時期は来るのだろうか。この国の民は、痛みに耐えながら静かに死んでゆくことを選ぶような気がする。あのアントニオ猪木が大衆の前に晒した末期の姿のインパクトは、日本人の潜在意識の中に確かに刻印されたと思う。