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備忘録メモ naruyoshi

自分用に、菊地成孔の動画を張り付けておく。

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村上春樹 presents 山下洋輔トリオ 再乱入ライブ」(2022.7.12 早稲田大学
より菊地成孔の発言をピックアップして書き起こし(発言要旨)

司会:フリージャズが生まれた背景とは?

菊地:日本で急に生まれたものじゃないですから、アメリカで生まれて日本が輸入して、ハンバーグとかと同じで、日本用にアレンジするわけですけど。五十年代くらいから、オーネット・コールマンとかはいたわけですが、フリージャズの歴史を俯瞰するというのは難しくて、ビーバップがあって、モードジャズがきて、モードジャズはビーバップに比べるとフリージャズと手を組みやすいところはあったんですよね。この話もこれだけ聞いても面白くもなんともない話ですけど(笑)一般に知られているのは、すでに大御所だったジョン・コルトレーンという人がフリージャズに転向して、1967年頃に厚生年金ホールで、亡くなった相倉久人先生が司会で「ライブ・イン・ジャパン」という6枚組のアルバムが出て、その客席に山下洋輔先生がいらして、まだどういう方向で行こうかという状態だった山下さんたちがコルトレーンの演奏を聴いて背中を押されたっていう。それが山下さんの「風雲ジャズ帖」という本に書いてあります。今日のメンバーは第一期のメンバーで、この一冊目の本のときのメンバーです。

山下は天性のスターというか、本人に言うと怒るんですけど、長嶋茂雄みたいなところがあって、記録とか、凄いことをするんですよね。この乱入コンサートっていうのは、日本の学生運動が盛んだった時期に、フリージャズみたいなある種の暴力的な音の表現が、学生たちの革命的な動きにジョインできる可能性があるということを示したコンサートで、ここまで露骨にやった人は、当時フリージャズメンはいっぱいいたんですけど、山下だけなんですよね。そういう記録を、本人がそのつもりがなくても打ち立ててしまうところがあって。山下本人はその後、学生運動の退潮の流れに逆らうようにして、フリージャズという難しい音楽を、タモリ筒井康隆を入れてお茶の間までポップに展開するという偉業を、学生による革命運動が終わった後にもやり続けたという業績が大きい。にもかかわらず、一方で大隈講堂でこういうことをやっちゃうっていうのが、スター性だと思いますけどね。山下塾で業績というのをまとめるならば。

山下自身はそういうのを率いていくという意識はまったくないと思いますね。面白そうなんでやってるだけで。再乱入なんて面白そうじゃないですか。村上先生が仕切って(笑)

村上:でもフリージャズは、今のジャズではあまりやっていないけれど、フリージャズの要素っていうのはかなり取り入れられていますよね。

菊地:ええ入ってます、入ってます。アメリカではBLM(Bkack Lives Matter)とコロナが同じ時期にあって、現在流行っている音楽の中にもフリージャズの要素が入っていて、そこには怒りの表現とか反体制の表現というのが露骨に、それだけでやるというんじゃないんだけど、遺伝子みたいに入っている。それはコロナとBLMがある限りはあり続けるというような感じで入っているという言い方はできると思います。意外とコロナデビューの人多いですから、最近のジャズの話題の人は。コロナの時代にぐーっとと来た人が多くて、だいたい怒ってますね。久しぶりにジャズが怒りを取り戻したという感じがあったりして。

村上:なるほど。

司会:このまま三時間くらいお聞きしたいところですが…

菊地:三時間はキツいと思いますね(笑)これくらいが丁度いいと思います。