「調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝」(リトル・モア、2021)
近田春夫と内田裕也は共に、〈はっぴいえんど史観〉もしくはロッキン・オン・ジャパン史観に毒された(?)自分にとっては、よく分からない謎のロック・ミュージシャンであり続けてきた。
この二冊を読んで、〈もうひとつの日本ロック史の流れ〉といったものが朧げに浮かんできた気がした。
内田裕也は、ロカビリー歌手(本人はロックンロールが歌えないのが不満だった)としてデビューし、六十年代に沢田研二のタイガースを世に出し、七十年代にかけて、フラワー・トラヴェリン・バンドやクリエイションなどの洋楽的テイスト濃厚なロックバンドをデビューさせ、海外からフランク・ザッパやニューヨーク・ドールズなどの先鋭的なミュージシャンやバンドを招いて今でいう〈フェス〉の先駆けのようなライブを実現した。
それを日本の芸能界の枠組みから外れたところで、ほとんど私費を投げうって情熱的かつ献身的に行ってきた。エネルギッシュに海外のミュージシャンとも交流し、ジョン・レノンやストーンズなどとも直接渡り合った。
やがて映画界に進出し、異端的ながらも高く評価される作品を生み出した。九十年代以降はほとんどロック界のフィクサーのような立ち位置で存在感を維持した。
近田春夫はそんな内田裕也のバックバンドの一員として音楽界に入り、タレントや文筆家としての才能も発揮しながら、ハルヲフォンやビブラストーンなどのバンドを率いてニューウェーブ、ディスコ、ヒップホップ、トランスなどの欧米の先端的な音楽を日本のロックに取り入れてきた。
両者に共通するのは、分かりやすい「歴史的名盤」や「誰でも知っているヒット曲」「永遠の一曲」みたいな代表作には恵まれていないことで、いわゆるヒットチャートの世界とは無縁に過ごしてきたことだろう。
逆に言えば、にもかかわらず、日本のロックに無視できない影響力を数十年にわたり維持してきたという、誰もが認めざるを得ないアーチスト・パワーがある。人間的な魅力や人格のユニークさもその重要な要素として含まれている。
「調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝」は下井草秀氏による聞き書きであり、「内田裕也 俺は最低な奴さ」は近田春夫氏による聞き書きである。どちらも、本人を親しく知る関係者によるインタビューの良い部分が発揮されていて、登場する人物の豪華さも相まって読み物として面白い。
内田裕也は奥さんの樹木希林に首根っこを掴まれるようにして天国に連れ去れられてしまったが、近田春夫はガンを克服してまだ元気に活躍している。時代はまだ彼の感性を必要としていると思う。