War Is Over

 if you want it

A Love Supreme

大学で孤独にスピリチュアルにハマっていた頃、一時的に世俗的な音楽を受け付けなくなって、クラシックばかり聴いていた時期があった。バッハとかモーツアルトのミサ曲とか、ベートーベンの後期弦楽四重奏などを集中的に聴いていた。

そういう時に、ジャズでほとんど唯一愛聴できたのがJohn Coltrane A Love Supreme であった。コルトレーン自身が書いたライナーに、「1957年、私は神の恩寵により霊的に目覚めた」と書いてあって、激しく感動したのを覚えている。

このアルバムは最初から最後まですべてのパートが有機的につながっていて、冒頭のメロディーの変奏で貫かれ(自分比)、まるでベートーヴェンの第五交響曲のようだと勝手に思っていた。

この組曲はいくつかライブ盤があるのだが、どのライブ盤よりもこのスタジオ版は一音一音が必然で、まるでクラシックのように厳密な美的構成を感じる。

コルトレーンエリック・ドルフィーとパーカーだけは例外的に聴いていたジャズを再び聞き始めたのはたかだか数年前のことで、菊地成孔のおかげでマイルスからフリージャズまで楽しみながら聴く体験ができたことには感謝している。

コルトレーンは求道者タイプで、ひたすら<神>に向かって己を突き詰めていった。インド哲学にも傾倒し、ラヴィ・シャンカールのようなインド音楽にも接近したが、菊地成孔によればこれがコルトレーンの不幸の始まりで、彼の本来の資質はアフリカ的ポリリズムの方向にあったのに、インド的なメタフィジカルで秘教的な方向に行ってしまったために行き詰ったのだと言っている。

サン・ラーはジョン・コルトレーンの死去を耳にすると、気が動転した。二人は数えるほどしか会ったことがなかったが、サン・ラーはコルトレーンが人としてもミュージシャンとしても全く非凡であり、救世主的な気質を備えているとさえ感じていた。サン・ラーは、自分がもっと警告すればよかった、あるいは彼に伝えた秘密の知識が余りにも度が過ぎていて、彼の手に負えなかったのではないかと言い、彼の死の責任が自分にあると思っているようでさえあった。しかし別の時には、コルトレーンに警告した、彼がもしアーケストラに入っていればこんなことにはならなかった、これはコルトレーン自身のせいだとも言っていた。アーケストラは彼の死の直後にペンシルヴェニア大学で行われたコルトレーン追悼コンサートで演奏し、その後何年もの間、サン・ラーは会話の中に、突然コルトレーンの死のことを一つの教訓例として登場させたりした。その教訓は彼自身にとってもいつも明快なわけではなかった。

ジョン・F・スウェッド「サン・ラー伝」より

コルトレーンにせよエリック・ドルフィーにせよ、ああいう音楽をやってしまった人というのは長生きはできないのだろう。ジム・モリソンやジミ・ヘンドリクスが長生きできなかったように、命を削るような表現をした人間は、多くの人間に影響を与えた代償を払わなければならない。

だが、長生きできなかったことが何か悪いことなのか? 彼らのように太く短く生きることは長生きして円熟した表現を残すことと同じように尊いし、否定されるべき何物もそこには存在しない。

Love Supremeを体験し、それを世界に伝えた時点でもう彼の生は全うされたのだと思う。このアルバムを拝むように聴いていた日々は、わが人生で最も孤独で、最も幸福な日々であった。

AUM COLTRANE SOWAKA