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リビードORリビドー?

精神分析とはセックスをしないと決めた二人が、互いに何を話すことができるかを問う実践である。

アダム・フィリップス(フロイト精神分析技法に関する著作の序文より)

面白かった。

もはやあまりにも有名な言葉だが、フロイトは『ヒステリー研究』の最後で、精神分析の目的を「患者の病理的な不幸を、ありきたりの不幸に変えること」と述べている。

…しかし、私たちの考える分析治療の観点からは、このいずれの治療観も不十分に思える。フロイトは、最初から最後まで量の観点を重視し、質に関しては快・不快しか問題にしなかった。しかし、例えば、リズムという要因を導入するなら、もっと異なった質の情動を理論化することも可能だろう。それは例えば、喜びである。

患者の心的機能を十分な形で高めることができたなら、単に「病理的な不幸を、ありきたりな不幸に変えること」だけではなく、患者はその不幸という「現実」も、そうでありながらも楽しむことができるのではないか。フロイトに欠けているのは、私たちがいかに重症な精神の病を抱えていても、分析治療を通して心的機能が高まることによって、「病理的な不幸」が「ありきたりの不幸」に変わるだけではなく、そこからさらに、生きていることそれ自体の中に多くの喜びを見出すことができるという認識である。

(十川 幸司「フロイディアン・ステップ――分析家の誕生」より)

現役の分析医によるこの言葉は、重く励みになる。

ところで「リビドー」と思い込んでいたがこれらの本はいずれも「リビード」になっているがこっちが正しいのだろうか。