INSTANT KARMA

We All Shine On

古代的ポストモダン

千葉雅也「現代思想入門」kindleAmazonで買って読む。

フランス現代思想について書かれた本で、今まで意味が分かった本はほとんどなかったのだが、この本で初めて腑に落ちる説明に出会えた。

文章に気負いがなく自分の中で確実に消化した知識をかみ砕いて説明しているのが伝わるので読んでいてまったく抵抗を感じない。ラカンについてもこういう書き方をしてくれればよく分かる。

それでも二十一世紀以降の思想については、さすがの千葉雅也をもってしても難解。何となく「知性の自家中毒」という言葉が頭に浮かんだ。現代音楽の難解さにも通じる。

もう「思想」というものによって世界全体を把握したり真実に到達できるということが幻想だと分かっていながらもなおそれに拘り続けることの意味を問う、みたいな出口のない方向に向かっていくしかない感じ。

そこではもはや個々の思想家が孤独に自分だけの言葉を紡ぎ続けるしかない。そういう各々自立した思想家(個人)が互いにつながりあいネットワークを創造してリゾームを形成すること。賃労働と資本の外側での経済行為。脱成長コミュニズム。なし崩し的にそういう世の中になっていくわけがないだろうとは思う。

身体の根底的な偶然性を肯定し、無限の反省から抜け出し、個別の問題に有限に取り組む。千葉が最終章で提示している<古代的ポストモダン>ともいうべき世界観に共感する。深さと軽みの共存。

付録の「現代思想の読み方」の、レトリックに振り回されず、必要な情報だけを取り出すというやり方を参考にして、再びラカンに取り組んでみようという思いにもさせられた。

また千葉があとがきに書いている講談社現代新書今村仁司編「現代思想を読む事典」(1988年)が、自分が高校時代に現代思想に挫折したきっかけとなる本だったのも印象深い。自分はあれからそういうものから遠ざかる方向に走って行った。

僕自身の感覚としては、本書は、専門家としてというより、十代からフランス現代思想に憧れ、リゾームだの脱構築だのと言ってみたい! という「カッコつけ」から出発した現代思想ファンの総決算として書いたのかもしれません。これは青春の総括であり、憧れへの終幕なのです。

こんなふうにアケスケに書いてしまえる感性が、彼の私小説をあれほど面白いものにしているのだと思った。

千葉雅也の新しい私小説が読みたい。