INSTANT KARMA

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尊皇討奸(I'd Rather Die)

笠井 潔,絓 秀実,外山 恒一『対論 1968』 (集英社新書)の中に斎藤幸平『人新世の資本論』(集英社新書についての言及があって、当然ながら批判的に論じられているのだが(「革命抜きのマルクス」とか)、斎藤もこれをよんでカチンと来るところがあったのか、自分のTwitterで「対論1968」を揶揄するようなツイートをして、それをまた外山に揶揄され、それに斎藤がオウム返ししたら「芸がない」と外山に再び揶揄されるというのを見た(ああややこしい。直接見たほうが早い)。

この両者に接点が生じたというのがそもそも意外。斎藤の言うマルクス主義というのは「1968」で登場するマルクス主義とは似て非なるどころか言葉だけは同じでまったく異なる概念(ラカンと羅漢、吉野大夫と吉野家マルクスマルクス兄弟くらい違う)だから。

斎藤が〈脱成長コミュニズム〉の実現を死ぬ気で考えているとはとても思えないし、そもそも何のモチベーションをもってやっているのかも伝わってこない(例の「水俣で泣いた」とかいう本を読めばいいのかもしれないがとても読む気になれない)。一方の外山は外山で、もはや政治活動の戦線からは退き後継者たちの育成にシフトしている感がある(来年初めには伝記が出版されるらしい)。

本気で日本で革命を起こそうと思ったら天皇を絡めるしかないので、その意味では今年最も革命的だった書物は森達也千代田区一番一号のラビリンス」だったが見事に黙殺されて終わった。所詮その程度の社会だからこの国に革命など起きないし、脱成長コミュニズムなど生まれずただただ貧乏になっていくだけだろう。

問題は、仮に大衆蜂起が起こって国会議事堂を占拠するまではいいが、皇居を占拠できるのかということだ(物理的な力の行使のことだけを言っているのではない)。二二六が挫折したのは結局そこじゃないか。その点を真剣に論じない革命論などわが国では机上の空論に過ぎない。個人的には今上天皇愛子様のためなら命を捧げてもいいくらいに酔っぱらったときに思うことがあるがあっちは嫌だ。

(ワ)ラカン理論に倣えば、象徴界では革命は成就しているのだが想像界の機能不全のために天孫降臨が現実化できない。森達也には千代田区のラビリンスの続編及びその映画化を期待したい。福田村事件はいいから。あれのせいで水道橋博士バーンアウトしちゃったんだから。

「対論1968」が物足りなかったのは、コロナ禍については時期的に間に合ったが今年(2022年)のウクライナ戦争と安倍晋三暗殺(東アジア反日武装戦線ができなかったことを統一教会二世の山上徹也がやってしまったこと)について触れられていないせいかもしれない。集英社のWEB記事でもいいからやってくれないかな。

藤井風「死ぬのがいいわ」が今年の後半にかけて全世界的にサブスクでバズッたようだと紅白のニュースで知った。逆に言えばそれまで知らなかったわけで己の不明を恥じた。たしかにあの曲は名曲揃いのHNHNの中でも秀逸な曲だと思う。何よりタイトルがいい。

今の世界(自分)にぴったりではないか。