INSTANT KARMA

We All Shine On

I Remember Kenta

『週刊SPA!』山田ルイ53世氏との対談より

僕は(芥川賞を受賞した)40代のときはものすごく元気だったんです。しかし、50代に入ると気持ちに変化が出てきた。先が見えて、今後自分の人生に劇的な変化が起こらないことも、くっきり見えてしまった。

気力や体力が今のレベルを保っていられるのは、運が良くてせいぜい10年。もう人生の日は暮れようとしている。それなのに、まだ書きたいことは山ほどあるし、何も残せていない。そう思い至ったとき、50歳になって、ようやく「真剣に生きる」ことを具体的に意識し始めたんです。

可能性や多様性のあることが一概に善であるかのような風潮は、ちょっと違うと思いますね。事と次第によります。人生の残り時間が少なくなって「小説以外の興味は何もない」と改めて自覚したときに、他の一切が無駄に思えて、切り捨てることができました。

向上心や好奇心って、そんなに持たないといけないものなのでしょうか? 僕の場合、家庭の事情で中学を卒業した2日後に家出をし、そこから職と住を転々としましたが、生活するだけで精いっぱいで、「人生を充実させよう」なんて思う暇もなく年をとりました。お金だっていまだに貯金もなく、毎日生きていくのがやっとだけれど、別に不安や不満はないですよ。

と、そんな達観したように言っていますが、達観どころか、結構エゴサーチとかもしてしまうんですよ。でね、こんな感想を言う人がいる。「作家だったら自分のことばかり書かずに、もっと世の中や他人の人生を書け」と。私小説看板の書き手には的外れすぎることを、悪意なのかなんなのか、普通に書き込む手合いが案外に多いですなあ。

僕自身はSNSはまったくやりませんが、スマホで育った世代でもないのに、スマホ上でエキサイトしている中高年たちを見ると、正直、気味が悪い。偏った価値観を押しつける人が多すぎるし、「ネットの声」をヘンに重用する人も多すぎます。どちらも、みっともない。

自分自身と向き合うのも精いっぱいなのに、他人の勝手な価値観に影響されるのなんてまっぴらです。僕は自分の書いた小説すら、書き終わると同時に忘れ去るくらいですから。「もっといい作品にできたはずなのに」などとネガティブな感情が湧くでしょう。もう、その時点で辛い。

山田:西村先生はいつまで生きたいと思いますか?

西村:僕は独り身なので、なんの責任もありません。だから、小説が書ける限り、という感じですね。書けなくなったときが死ぬときでいい。長生きも必ずしも善ではありませんね。未練がましくただ生きているだけでは、恥をかくだけだし。

『群像』石原慎太郎との対談より

どうせなら、苦しまずに死ねれば、それだけで幸せだなあと思いますけどね。それも、まだ体の動くうちに。

死に至る病になって入院生活を送っていると、死に対する恐怖とかをいよいよいろいろと考えてしまうはずなので、できたら僕は事故死したいんですけどね。トラックにバーンとはねられて、一瞬で終わるようなのが理想なんです。あと十年くらいしたら、だれかひいてくんえねかな(笑)。