INSTANT KARMA

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No Novel No Life

今日のはまあ箸休めみたいなもので。

 

西村賢太の文学的嗜好については作家本人があらゆる小説や随筆で詳細に述べているので改めて取り上げるべきものはない。昨年に出た『誰もいない文学館』においても、まとまったかたちでの本人による解説がある。

そこで今回はそれ以外の西村の嗜好について取り上げてみたい。

まず音楽。

賢太作品に登場する音楽としては、まず何を措いても稲垣潤一である。

作中では同棲していた「秋恵」が好んで聴いていたという設定にしているが、実は西村自身が年少の頃から愛聴していたと明かしている。

もっとも「野性時代」(2009年2月)のアンケートでは、「以前、共に棲んでいた女が稲垣潤一をよく聴いていたので、それを自分の私小説中に何度か書いています」とウソの回答をしている(言葉の上ではウソではないのかもしれないが)。

稲垣とは芥川賞を獲ってからライブに招かれたり雑誌やメディアで対談相手になったり賢太の文庫本の解説を稲垣が書いたりと、親密な関係を築くようになったが、藤澤清造の歿後弟子としての初心を失っていることに気づき、2015年(平成27年)2月11日、ライブ打ち上げの後、芝公園に佇み思いを改める。これが「芝公園六角堂跡」に収められた連作につながるのだが、ここでは作家論に踏み込むのはやめておこう。

 

西村の音楽的嗜好は、稲垣潤一を例外として、決して同世代のヒット曲や売れ線志向ではない。それは彼の作品から当然予想されることで、むしろ北町貫多の私小説の中に稲垣潤一が登場するその唐突さが何とも言えぬ可笑しみを生み出している。

ロックと言えばインディーズバンド、OLEDICKFOGGY を大変気に入り、ドキュメンタリーDVDにコメントを書き、地方でのライブにも足を伸ばすなど、一時はかなりハマっている。ボーカリスト伊藤雄和とは飲み仲間になり、「唯一の弟子」と認めるまでになるが、これも稲垣潤一のときと同様の理由から決裂の道を選んだ。

元レッド・ウォリアーズのダイヤモンド・ユカイとはテレビ番組「ニッポン・ダンディ」で共演して以来の縁で、送ってもらったCDを愛聴したと公開日記(『日乗シリーズ』)に記されているから、ロックが嫌いというわけではないのかもしれない。

その他付き合いのあったミュージシャンには友川カズキがいる。これはむしろ友川の方で西村の小説を読んで衝撃を受け、積極的にアプローチしたという関係である。友川カズキの音楽は西村賢太の小説に実によくマッチするのだが、むしろハマりすぎて意外性がないともいえ、西村の作品中には登場しない。

 

普段聴く音楽としては、上記の「野性時代」のアンケートでは「室にいる間は絶えず何かしらかけてますが、原稿を書くときには消します」と答え、「ここひと月程は、鶴田浩二の『傷だらけの人生』を、毎日、エンドレスで流してます」とある。

「女、子供、またそれに必死に迎合する助平作家からの、ケチな失笑を受け付けぬ突き抜けたアナクロニズム感が、意外に藤澤清造川崎長太郎の小説世界と相通ずるものがあるので。」というコメントは、この選曲と共に、いかにも<北町貫多>らしい。

その他に、『日乗シリーズ』に登場する音楽には、映画のサウンドトラック(病院坂の首縊りの家」、「野獣死すべし」、「白昼の死角」)があるが、案外とそれ以外の具体的な作品名や楽曲名は上がっていない。阿木燿子との対談に際して、「白昼の死角」のサウンドトラックに収録されているダウンタウン・ブギウギバンドの「欲望の街」が好きと書いていたり、映画悪魔の手毬唄のサントラLPに杉本一文氏のサインをもらったりしている。

こうしてみると、音楽単独での好みというより、好きな映像作品に付随するものとして聴いていたということか。

 

洋楽などはほとんど聴かなかったようである。父親がカントリー・ミュージックのレコードを大量に集めていたとどこかに書いていた気がするので、欧米の大衆音楽には嫌悪感が先立ったのかもしれない。

賢太とブラック・ミュージックとの関係については、思わず笑ってしまう文章がある。

随筆集『一日』(文庫化のさい「小説にすがりつきたい夜もある」に改題)に収録されている「色慾譚―したたる汗」という文章は、賢太の数多いエッセイの中でも最高に笑えるものの一つだと思うが、今のご時世だと発表を差し控えさせられかねない内容ではある(もちろんそんなのに従う西村ではなかったろう)。

未読の方がいれば、ぜひ御一読を勧めたい。