INSTANT KARMA

We All Shine On

Schizoradio Vol.55 featuring Tamori

オープニングテーマ: Bittersweet Samba / Herb Alpert & The Tijuana Brass

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こんばんわ。今日はオールナイトニッポン55周年を勝手に記念しまして、毎度お馴染みの〈妄想ラジオ〉をやることにします。ここに載せるのはいつかオンエアされる予定のラジオの書き起こしであります。やっている本人以外誰一人関心のない完全マスターベーション番組ですが、きっと異世界に存在しているはずのリスナーの皆様に向けて毒電波を飛ばしております。

今夜も全国0局ネットでお送り致します。

本日は豪華ゲストをお呼びしています。タレントのタモリさんこと森田一義さんです。

今夜は最高!ということでひとつよろしくお願いします。

森田:よろしくお願いします。

MC:タモリさんといえば、「密室芸」を得意とするアングラ芸人から「日本で一番テレビに出ている人」になり、四半世紀お昼の生放送の司会を務めて、番組をお辞めになった後も、様々なテレビ番組でご活躍を続けられています。

森田さんがまったくの素人から日本一の芸能人になるまでの軌跡は、もはや現代における神話のひとつといっていいでしょう。九州で才能を持て余していた三十代の森田さんが東京の文化人たちに劇的に見出されて「タモリ」へと変容していく経緯は、山下洋輔筒井康隆赤塚不二夫らの手によって伝説的な装いで何度も繰り返し語られています。

もしかしたら今の若い人は、初期の「タモリ」が持っていた過激さやラジカルさを知らないかもしれません。「ブラタモリ」で専門家はだしの知識を披露したり「ミュージックステーション」で淡々とした司会ぶりを見せる最近のタモリさんしか知らない人は、ぜひ2枚のCD(タモリ」、「タモリ2」)と、発売中止になった音源(「戦後日本歌謡史」現在某動画サイトで視聴可能)を聴いてみていただきたいと思っています。

今日は「芸人タモリ」についてではなく、森田さんの世界観みたいなものについてお話ができればと考えています。よろしくお願いいたします。

森田:よろしくお願いします。

MC:森田さんは1980年に、松岡正剛との対談本『愛の傾向と対策』の中でこんな風におっしゃっていますね。松岡氏(セイゴオ)と森田さん(タモリ)の対話の一部を少し引用します。

セイゴオ今日、どうしても知りたいのは、なぜ、コトバに挑戦したかという一点に尽きるんだな。

タモリかんたんに言えば、理由はコトバに苦しめられたということでしょう。それと、コトバがあるから、よくものが見えないということがある。文化というのはコトバでしょ。文字というよりコトバです。ものを知るには、コトバでしかないということを何とか打破せんといかんと使命感に燃えましてね。

セイゴオ苦しめられた経験とは?

タモリものを知ろうとして、コトバを使うと、一向に知りえなくて、ますます遠くなったりする。それでおかしな方向へ行っちゃう。おかしいと思いながらも行くと、そこにシュールレアリスムなんかがあって、落ち込んだりする。何かものを見て、コトバにしたときは,もう知りたいものから離れている。

セイゴオそうね、最初にシンボル化が起こっていて、言語にするときは行きすぎか、わきに寄りすぎてしまってピシャッといかない。ぐるぐる廻る感じです。ヴィトゲンシュタインがそれを「コトバにはぼけたふちがある」と言った。

タモリ純粋な意識というのがあるかどうかは知らないけど、まったく余計なものをはらって、じっと坐っているような状態があるとして、フッと窓の外を見ると木の葉が揺れる。風が吹くから揺れるんだけど、それがえらく不思議でもあり、こわくもあり、ありがたいってなことも言えるような瞬間がありますね。それを「不思議」と言ったときには、もう離れてしまっている感じがするんですよ。ほんとうは、まったく余計なもののない、コトバのない意識になりたいというのがボクにある。ところがどうしても意識のあるコトバがどんどん入ってきてしまう。それに腹が立った時期があるんスね、そのあと、コトバをどうするかというと崩すしかない。笑いものにして遊ぶということでこうなってきた。

セイゴオなるほどねェ。遊ばせていくしかない。・・・(略)

タモリさっきのボクの体験は浪人のときだった。はなれの部屋を使っていて、庭と石垣が両側にある。そこでジーッとしていて、この世に人間が出てきたとき、周りのものをどう見るのかと、一種の座禅のようなことをしていた。ある一瞬に、フッとそういうことになった。偉そうに言うと「無」とかかな。すると自分の手がすごく不思議だし、窓の方を見ると、ネズミモチの木がチラッと揺れた。それは感動的ですね。

セイゴオ一生に何回かありますね。

タモリもう、鮮烈に憶えています。

MC:タモリ」の芸として有名な「似非外国語」や「ハナモゲラ語」などを見ても分かるように、森田さんは「言葉以前のもの」に対する感性が異常に鋭いと思います。それは言葉の意味以前の「響き」や「剥き出しの音」(ラカンのいう「シニフィアン」)の中に、それを用いて世界に意味を付加する人間の営みの不思議さ、可笑しさ、仮構性を見ているようです。これは森田さんが言葉による意味付けを剥ぎ取られた世界のリアルさ(ラカンのいう現実界)を直感していることから来ているのではないかと思うのです。

森田:どうなんですかね。

MC:ここで音楽かけましょうか。発売してすぐ回収されたといういわくつきの名盤「戦後日本歌謡史」からどうぞ。

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MC:森田さんは、ある番組の若者に向けた講演の中でこんなことを語っていますね。

まず「自分とは何か」について、たとえば「会社の社長」「芸能人」「妻がいて子供が二人いる」といった自分自身の「状況」を横軸とし、「親は医者」「家系」「叔父が右翼の大物」「彼女が読者モデル」など、自分の周囲が持つ「事実」を縦軸とすると、この横軸と縦軸が交差したものが「自分」であると。

森田:そうすると、自分というのはいったいなにか、絶対的な自分とはなにか、っていうと、わかんなくなってくるわけですね。それだけこういう、あやふやなものの中で自分が成り立っている。

MC:そんな「自分」を成り立たせている横軸も縦軸も「余分なもの」であって、それを切り離した状態を、森田さんは「実存のゼロ地点」と呼んでいますね。

そして「人間とは精神である。精神とは自由である。自由とは不安である」というキルケゴールの言葉を引用し、それを解説しておられます。

森田:自分でなにかを規定し、決定し、意義づけ、存在していかねばならないのが人間であり、それが「自由」であるとすれば、そこには「不安」が伴うと。

この不安をなくすためには自由を誰かに預けた方がいい、と人間は考えるわけです。人間は、私に言わせれば「不自由になりたがっている」んですね。

MC:だから人は「家族を大切にする父親」であったり「どこどこの総務課長」であったりといった「役割」を与えられると安心するわけですね。

森田:私に言わせれば、その「役割」の糸こそがシガラミなわけです。それでも大人になれば、そのシガラミを無視することができなくなってきます。だから、18歳から22歳位までの、もっともシガラミが少ない時期に「実存のゼロ地点」を通過することが必要なのです。そこで私は言いました。「若者よ、シガラミを排除し、実存のゼロ地点に立て!」と。それを経験しているのとしていないのとでは、大人になった後、腹の括り方や覚悟の仕方が違ってきます。

MC:森田さんはシガラミを極端に嫌い、結婚披露宴や同窓会、クリスマスにバレンタインデー、年賀状といった、シガラミを象徴するような各種行事を徹底的に排除していることで有名ですね。以前、シガラミによって出席したフジテレビのディレクターと女子アナの結婚披露宴で、予定調和な進行に耐えきれず新郎新婦の友人に突進して大暴れする森田さんの姿がテレビで紹介されていましたね。

ここでまた音楽を聴きましょう。発売してすぐ回収されたという、いわくつきの名盤「戦後日本歌謡史」から。

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MC:せっかく音楽番組にお越しいただいているので、森田さんのお好きなジャズの話をお聞かせ願えればと思うのですが。ジャズとの出会いは、十七歳の高校生のときにアート・ブレイキーのアルバム「モーニン」のリー・モーガンのトランペットに衝撃を受けたとある雑誌で読んだのですが。

森田:あのわけのわからなさは衝撃でしたね。何がなんだかわかんない。こんなわけのわかんない音楽聴いたのは初めてで。とても癪にさわったんですね。俺にわからない音楽なんてないと思ってましたから。それじゃ根性入れて聞こうということになって。

MC:一浪して早稲田大学第二文学部に入ると同時にモダンジャズ研究会に入られたんですね。そこでマイルス・デイヴィスに憧れて先輩の前でトランペットを吹いたら、「マイルスの音は泣いているけれど、お前の音は笑っている」と言われたという有名なエピソードがありますけど。その先輩というのが後にジャズ喫茶「ベイシー」のマスターになる菅原正二さんですか?

森田:いや、テナーサックスの瓜阪正臣です。一年先輩のベーシストの鈴木良雄のマネージャを務めていましたが、2001年に亡くなりました。

MC:森田さんは演奏よりもバンドの司会の才能に目覚めることになるわけですが、ハナモゲラ語のルーツとなったのは?

森田:サッチモルイ・アームストロング)が「Heebie Jeebies」という曲をレコーディングしてた時に、歌詞を忘れてしまったんです。そこで咄嗟にあらぬ言葉を並べ立ててアドリブで歌い切ってしまった。それがスキャットの誕生で、楽器がないのに、肉声で即興演奏をやったんです。

僕は、松岡正剛との対談でも言いましたけど、言葉の意味というものに戦いを挑んでたんですよね。コトバをやっつけたかったわけです、コトバを使ってね。コトバっつうと、まず意味でしょ。そのへんからやっつけたかった。意味をなくそうって…

MC:ジャズのアドリブのスキャットにヒントを得て森田さんが独自に発展させたのがコトバを無意味化するためのあれら即興芸だったわけですね。先日のオールナイト・ニッポン55周年で星野源さんとの番組でかかった「オールナイト・ニッポン・ブルース」は圧巻でした。あれは即興ブルースの最高峰ではないでしょうか。今のヒップホップのフリースタイルにも通じるものがあると思います。

ここで森田さんのリクエスト曲を。ライオネル・ハンプトン「スターダスト」ですが、この曲は?

森田:1947年、ジャズが芸能だった時代ですね。レコーディングはマイク一本。ジャズフェスの時の寄せ集めのメンバーで、みんなが知ってる曲は「スターダスト」しかなかった。で、この曲をやったんです。ハンプトンのビブラフォンのアドリブが、最初は軽く、だんだん乗って来る。臨場感が凄い。床のステップする音も全部がジャズになってる。

MC:では、お届けしましょう。Lionel Hampton and his Just Jazz All-Starsで「Stardust」。

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MC:残念ですがそろそろ時間がきてしまいました。先日のオールナイト・ニッポンの中で、砧公園の桜を見ながら「これが極楽というものじゃないか」と感じた、と仰っていましたが、今はもう悟りのような心境に達してらっしゃる?

森田:あの放送でも話したんですが、幸せというのは、前とか上を見るんじゃなくて、後ろと下を見ることなんですね。極楽、要するに幸せとは理想を求めてそれが叶うとかいうことじゃなくて、本当は死刑になるところを、命を落とさずに済んだときに感じるものなんじゃないかと思うんです。

極端に言えば、好きって気持ちがあるから人を攻撃したり妬んだりするんですよ。そんな感情が一切なければ、親が殺されても殺した人になんの恨みも抱かない。僕は何事においても期待していないところがある。

(BGMにビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビー』がかかる)

ジャズの演奏も、邪念がないときに一番いい演奏ができる。徹底的に疲れ果てた時に邪念が消えるんです。疲れるのが大事ですね。

知り合いにこんな人がいたんです。もう余命間もなくと宣告されて、病院から家に帰されて最期を見届けることになった。その人は賭け事が大好きで、みんなが集まるのも大好き。誰かが最後に賭け事をやろうと言い出した。するとその人は話すことも食べることもできないくせに、賭け事という言葉を聞くと姿勢が急にシャンとして(笑)。

目を輝かせて。話せないから筆談でやったんですけど、家の人がカードを配ったら、「今の配りはおかしいからもう一度配り直せ」と指示する(笑)。そして配り直したら、「今回は降りる」と書いた。思わず僕が、「将来を考えてるんですか?」と訊いたら本人が大笑いした。

MC:ジャズな人ですね(笑)。

本日は素晴らしいゲストをお迎えして、大変素敵な話をお聞かせ頂きました。

ではまたいつか、お会いしましょう。明日もまた、来てくれるかな?

森田:・・・(苦笑)