INSTANT KARMA

We All Shine On

ANDROGENA

岡村靖幸細野晴臣にインタビューしているラジオ番組をYoutubeで見た(聞いた)。

正確には、細野晴臣のラジオ番組に岡村がゲスト出演したのだが、内容的には岡村が細野にひたすら質問しまくるというものだった。

岡村が雑誌連載している記事の企画と連動するものだったようだ。

岡村は、自分がYMOや細野からいかに大きな影響を受けたかを熱弁し、特に細野は、ただの模倣ではないオリジナルのファンク・ミュージックを日本人として尊敬していると言っていた。

岡村が影響を受けたという細野晴臣「S・F・X」というアルバムは確かに傑作で、近未来ファンクとでもいうべき内容となっており、岡村靖幸「Me-imi(ミイミ)」の頃のファンクチューンを連想させる曲が並んでいる。岡村は「S・F・X」に収録されている「ANDROGENA(アンドロジーナ)」という曲がどうやってできたのか分析してもどうしても理解できない、と言っていた。

細野晴臣が上記のアルバムや、F.O.E(フレンズ・オブ・アース)名義で出したファンクアルバムは、当時ジェームス・ブラウンと同じステージで演奏した時にJBファンからブーイングを食らったというほど不評であったが、今になって聴き直すと時代を遥かに先取りしたオリジナル和製ファンク・アルバムであり、菊地成孔もこの頃の細野作品を高く評価している。

岡村靖幸と言えば、80年代にデビューし、「イケナイコトカイ」や「いじわる」などのプリンス風ファンクとその独特のダンスにより一部から熱狂的な支持を受け、あの大傑作アルバム「家庭教師」を発売した頃にはもう神秘的な孤高の天才ミュージシャンとしてカルト的崇拝の対象となっていた。言ってみればまさに「和製プリンス」であり、そのミステリアスな私生活やアルバムの制作過程は興味と関心の対象ではあっても決して近づけない禁断の部屋みたいなところがあった。

それが、いろいろあって、二十一世紀に大復活を果たしてからは、さまざまな分野への旺盛な知識欲を持つルポライター的立ち位置を身に着けるようになっていた。岡村は水道橋博士の著作を熱心に読んでいて、その業界内ジャーナリスト的スタイルにも影響を受けているようだ。

要するに、細野晴臣に対して熱心に取材する岡村ちゃんを見て、こんなところにも隔世の感を覚えた次第であった。

そういえば和製プリンスで思い出したが、本家プリンスのライブが25日にテレビで放送されるようだ。

amass.jp

プリンスもこのころが一番神秘的だった気がする。八十年代に絶頂を極め、九十年代はいろいろあって、二十一世紀に大復活を果たしてからは、カリスマ性は健在だが、開放的なオーラを身に纏っていた。その一方で身体的には若い頃の酷使が祟って痛みに苦しんでいたようだ。それが鎮痛剤の過剰摂取からの急逝につながった。

岡村靖幸細野晴臣に、「手クセで曲を作るのを脱却するにはどうしたらいいか」と訊ねていた。たしかに岡村のギタープレイなど見ているとファンキーではあるのだが一種の手クセ的なものがある気がする。あのプリンスにすら、手クセを感じるときがある。音楽のバリエーションの引き出しが多いからあまり目立たないが、即興でピアノを弾くときやギターを弾くときは似たようなフレーズが出てくる。そんなことを言えばジミヘンにだって言えるのであって、クラシックの演奏家ならともかく、自分で音楽を作るミュージシャンの宿命のようなものだろう。

一方、細野の音楽にはあまりそういうものは感じない。でも細野は岡村に寄り添って、「確かに自分にもそういう悩みがあった。そういうときはデタラメに弾いて見たりすると、そこからいいものが出てくるときもある。僕の『コインシデンタル・ミュージック』(Coincidental Music)はそうやってできた」などと答えていた。

岡村靖幸YMOの曲で一番好きなのは細野晴臣が作ったシムーン(Simoon)」だと語っていた。この曲が収録されたYMOのファーストアルバムは、おそらくYMO作品の中で最も細野色が強く、村井邦彦のアルファ・レコード時代の70年代シティ・ポップの名残を留めている(と菊地成孔が言っていた)。この頃は高橋幸宏の名作ソロアルバム「サラヴァ」が出たり、山下達郎坂本龍一がバックミュージシャンとしていろんなアルバム制作に携わったり、夢のような時代であった。

僕は世代的にはこの夢のような世代の後、それこそ岡村靖幸やエレファント・カシマシやザ・ストリート・スライダーズやブルーハーツが出てきた時代に一番音楽を毎日の生活必需品として聴いていた。今でも音楽は生活必需品だが、当時とは切実さがちがう。

エレカシとスライダーズといえば、スライダーズのトリビュートアルバムにエレカシが参加したり、ハリーが闘病生活から復帰してライブを告知したり、35年くらい時計の針が巻き戻ったような気分にさせる。もうすっかり・・・などとこんなところにも隔世の感を覚える。

いやあ懐かしいっすね。