INSTANT KARMA

We All Shine On

もうすぐ春

中原昌也Twitterに、

本人に代わり投稿いたします。
中原は年明けに体調を崩し、1月半ばより入院しております。以前から進行していた糖尿病の合併症が影響し、治療に時間がかかっています。
ご心配をおかけしますが、本人の回復を信じて見守っていただけると幸いです。
家族一同

という書き込みがなされ軽いショック。早い回復を祈る。

 

昨日のYoutubeで見た永松波留(はるるん)トークを佐久間さんラジオ風にアレンジして失敗したのを成仏させたい。

これから引っ越しシーズンじゃない? 

知り合いのエピソードなんだけど、業者さんに荷物を運んでもらって、引越し先の部屋の中で作業してもらいながら、荷物を片してたの。そしたら人の気配を感じて、ふと見ると、明らかに業者には見えない、五十代位に見えるおばさんが部屋にいたのよ。フハハハ。引越センターの制服じゃない私服を着てるんだけど、ヘンにカラフルで、上が黄色で、下もちょっと蛍光色のピンクのロングスカートなんか履いて、えらく目立つんだよね。

で、「誰?」って思って、「失礼ですが、どちらさまですか?」って尋ねたら、「大家です」って言うのよ。フハハハッ。ああ、大家さんなのか、と一瞬納得しそうになったんだけど、大家だからって人の部屋に勝手に入ってくるのはまずいでしょ!(笑)と思い直して、「ここの大家さんでも、入るときには一応断ってからにしてもらえますか?」って丁寧にお願いしたの。ンフフフフ。

そしたら、「ここの大家じゃありません」って言うの。フハハハハ。え?ってなったら、そのオバチャンが言うには、「向かいのアパートの大家です」と。フハハハハ。何だよ、ますますダメじゃん。フハハッ。

「たまたま通りかかったら、ドアが開いてたから入った」っていうから、おい、これちょっと危ない人じゃないかと。ンフフフフ。それで、一人で対応するのはマズいと思って、その場にいた業者の人も巻き込んで一緒に話してもらって。とりあえず部屋からは出て行ってもらったの。

で、向かいのアパートのオーナーかどうかも怪しいから、後で確かめようと思って、「念のためお名前伺ってよろしいですか?」って聞いたら、「大家です」って。フハハハハハッ!

実際、向かいのアパートの人で、名前が大家だったっていう。

 

気が付くと2月が終わっていた。今日から長男が社会人生活開始。4月から正社員になる会社の茨城工場で一か月バイトとして勤務する。片道2時間かけて実家から通勤。通勤手当は週払いで出るそうだ。今朝は6時前に起きて7時過ぎに家を出た。

長女は国立前期日程を受けて受験は終了。後期の国立は受けず、Wに合格している。本人は国立の手応えありで、「私が落ちるなら全員落ちてる」と豪語している。合格発表は8日。その前に私立の入学金を振り込まないといけない。阿漕なやり方であるが憤っても仕方がない。

Wだと家から通うことになるが国立だと家を出て砂川文次「小銃」の舞台で暮らすことになる。そっちの方がお互いの精神衛生上はいいに違いない。New Jeansが嫌いだと言ってこっちが流すと怒るくせにさっきからずっと鼻歌でDittoうたってるし。窮屈で仕方がない。

隣が今月末で転居するとAさんが告げに来た。余分な文房具類を譲ろうかというが見に行くのが面倒なので断る。昨年に引退してからもずっと来ているようなので何をしているのかと訝っていたが、ようやく出ていくようでほっとしている。仕事中になんとなく覚えるくつろげない感じの3割くらいは隣の存在に起因していると思うので、退去が待ちきれない。

最初はいい人だろうと踏んで好意的に付き合ったが、徐々に癖のある所が見えてきてどんどん疎遠になった。決定的だったのは、ある仕事を頼まれて一緒にやって、帰りに二人で歩きながら延々とこちらの言動に文句を言って説教してきたこと。あのときは珍しく頭に血が上った。その前から馬鹿にするような言動は多々見られたものの、まあ揶揄いの一種だと思い大目に見てきたが、あの日以来もうこの人とは関係したくないという気持ちが固まった。

その後も個人的な用事を任されたり知り合いの件で仕事を押し付けられそうになったりしたが、もう早く縁を切りたいという気持ちしかなかった。ある日、一緒に行くはずの現場に現れず、Aさんに電話したら具合が悪くて寝ていると言われた。本人も具合が悪くて起きれなかったなどと電話口で言い訳した。

今になって考えてみれば最初から変な人で、近所の店を借り切ってお好み焼き屋を数日間だけ開いたり、よくわからないパンフレットを作って知人に送りつけたりしていた(主張自体は理解できないわけではないが、その文章は有効性を度外視した自己満足でしかなく、団塊世代のメンタリティの遺物のようなものを感じさせるものに過ぎなかった)。そうしたパンフレットのようなものは時折こちらの郵便受けにも入っていたが、いつもではなく、休業の通知や引越しの連絡も特になかった。

二年目の年末に、近所のレストランを借り切っての忘年会に招かれたことがあったが、それも一回きりで終わった。若手が座っている奥のカウンターには紹介もされず、最後まで彼らとは一言の挨拶も交わさず、Aさんの友人だという五十過ぎと思しき熟女達の前に座らされてひたすら気まずい思いをした。レストランの店員の対応も心から歓迎するといった風ではなく、全体的に妙な雰囲気が漂っていた。

性格的には冗談好きで一見人当りも良さそうに見えるが、余計な一言が多く人を怒らせるところがある。一緒に地方に仕事に行ったとき、地元の人ににお説教めいたことを言って彼らを閉口させていた。近所の店で接客に腹を立てて喧嘩になったこともあるとAさんが愚痴めいて話したこともある(Aさんの愚痴はある種の惚気のように聞こえなくもなかったが)。

向こうから見ればこちらは従順に仕事させられるわけでもなく、遊びに付き合えるわけでもない、融通の利かない若輩者でしかなかっただろう。自分が夢洲を雇い入れて一緒に働いていたことについてはどんな好奇心をもって見ていたのか分からないが、Aさんとの3人で静岡に行ったときには興味津々で夢洲のことばかり聞いてきた。夢洲と3人で彼の熱海の別荘に行ったこともある。その帰りの電車の中で、いくらで雇われているのか、と言って5本指を示して見せた。自分はAさんに一千万位払っていたこともあるなどと言っていた。一度夢洲が義理でバレンタインのチョコを隣に持って行った時にAさんから散々当てこすりのようなことを言われて戻ってきたから、もう二度と行かなかった。事あるごとに当てこすりのようなことを言うので、夢洲はAさんを嫌っていた。夢洲が辞める時にはもう交流は途絶えていて、別荘で取れたみかんやらお歳暮お中元の残り物をこちらに持ってくることもなくなった。今後は一切の関係を終了したいのだが、頼まれて彼の関係者の仕事をいくつか引き受ける状態になってしまっていることが悔やまれる。

その時には特段気にならなかったことでも、後になって、ああそういうことか、と気づいたり、考えてみれば嫌味を言われたのだなと思ったりする。こちらが鈍感なのだろうが、老獪な人間だという感じで嫌だ。夢洲は彼の人間的に癖のある部分を見抜いており、B・・さんの方が人間としていい人だと言っていたが、確かにそれはそうかもしれない。こんな老獪な人たちだから、すんなり引っ越して、姿を消してくれるのかどうか、まだ疑心暗鬼な部分が残っている。